実が落ちる前に

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現在③-5 御枷島(おとぎじま)野口歩 ブログ小説web小説

 紗江には腑に落ちないことが多かった。一晩悩んだ後、結局、翌日になってもう一度沖田家を訪ねることにした。

 前日からの予報通り、ぐずついた天気だ。夜中から降り続いた雨は今は上がっているが、またいつ降り始めるか分からない。風も強い。

 昨日は行き違いになって会えずじまいだった沖田だが、今日は家にいた。宣言通り、海には出なかったらしい。

「ああ、昨日の。なんか知らんが訪ねてきてくれたらしいね」

 二日続けてお邪魔するのも申し訳なく、紗江は玄関先で簡単に済ませるつもりだったが、沖田は「上がれ、上がれ」と紗江を居間に通してくれた。

「今日は寒いけえ、入りんさい」

 こたつに膝を入れる。でこぽんを勧めてくれた奥さんはごく自然な流れで夫の隣に座った。

 沖田は頬骨が高い、神経質そうな顔をしていたが、口を開くと存外、おしゃべり好きな男だった。

「おじちゃん、鼻の下がのびとるよ。若い子が相手だとすぐこうなんじゃけえ」

「ばばは黙っとけ」

「そがいなこというてから。ほら、お客様の前なんじゃけえ、その帽子脱ぎんさい。みっともない」

 奥さんに咎められると、沖田は耳まですっぽりかぶっていたニット帽を脱いだ。禿げ上がった額を手でごしごしとこする。日焼けした顔は漁師そのものだが、器用そうな細長い指は漁師のそれとは違う。

「で、何の話じゃったかな」

「あの、昨日の」

 紗江が言い終わらないうちに、奥さんがしゃべり始める。紗江の声よりもずっと大きな声で。

「このぼけじいさんが。さっきをおっしゃったじゃろ。昨日のことよね。もう忘れたん?」

「ばばがうるさいけん、聞こえんのんよの」

 沖田は昨日、香との間であったことを紗江に話すのに何の抵抗も感じていないようだった。ということは、やっぱり香に隠し事はなかったということだろうか。元々、紗江は香の恋人でもお目付役でもないのだから、香が紗江に予定の全部を教える義理なんかないわけで、役場に行く予定を急におっさんとの釣りに費やしたとしても香が紗江にいちいち断りをいれる必要はない。香が紗江に言う必要性を感じなかったというだけで、紗江が隠し事だと勘ぐるのは、冷静になってみればおかしな話だ。

 それでも、やはり紗江は気になる。

 沖田は相変わらず人のよさそうな笑顔を浮かべている。

「仏さんを引き上げたことがあっての」

「仏……?」

 間抜けなことにそのとき紗江の頭に浮かんだのは仏像だった。それも、さびれた観光地のお土産屋さんに置いてあるような木彫りの仏像さん。沖田の言う仏さんが、死体だということに気付くのは、仏像の隣に陳列された木彫りの大黒様まで思い浮かべた後だった。

「あれは二年前だったかいの。まだ向こうにいた頃よ。網に仏さんの入った袋が引っかかってから、あれにゃあ参った、参った。やたら重うてのう、やっとこさ引き上げた思ったら、網がやられて使いもんにならんくなったわあ」

「はあ」

 紗江には沖田の話の行き先が分からない。

「結び目から袋の中の水がだあだあ漏れて、船の上が水たまりよ。最初はごみ袋にしか見えんかったけえ、こん野郎思うて、すぐ捨てよう思ったけど。持ち上げようとしたらこれがまた重いんの。水はあらかた出たのにおかしい思うて開けて見たら、あらびっくり、重石と一緒に白いもんが入っとったけえ、ひっくり返ってしもうたわ。ありゃあ、たまげたたまげた。ああ、すぐに警察に通報したよ。そうしたら、後でやっぱりそうじゃったと連絡が来て、たしか新聞にも載ったのう。大した騒ぎにはならんかったがな。いんや。新しい骨じゃないわい。もうだいぶ古い骨のようじゃった」

 紗江は自分でも気づかないうちに伏せていた顔を上げ、沖田の顔を穴があくほど見つめていた。なぜか呼吸が苦しい。胸に手を当てて、やっとの思いで声を出す。声は少し震えていた。

「骨の身元は?」

「さあ、知らん。分からんかったんじゃなかろうか。警察は調べるいうとったけど、本当にやったかどうか。儂なんか面倒なものを引き上げてくれたと、嫌味を言われたくらいじゃから」

「その話を彼が聞きにきたのですか、昨日」

 紗江はすぼめた唇から細く息を吐く。

 海から引き上げられた古い骨。

 洋子ではないか。

 沖田は島のじいさんたちと変わらない濁音だらけの言葉遣いで話を続ける。

「わしゃあ、地のもんじゃないけえ、昔のことはよう知らなんだ。昨夜、このばばに教えてもろうてようやく合点したくらいじゃけんの。思い返してみりゃあ、あの子もばあちゃんがどうのこうのと言っておったわい。でも儂は引っ張り上げたってだけで詳しいことは何も知らん。あのときはK警察署から警官が来たから、そっちに行ってみんさいと言ったんだ。そしたら、そうする言うちょったで」

 紗江は一つ、疑問を持った。

 沖田が引き上げた白骨は洋子かもしれない。白骨死体発見のニュースを知った香がそう考えるのは至極当然だ。だが、どうしてわざわざ沖田を訪ねる必要があったのだろう。それも死体発見から二年も経った今。香はおそらく新聞なりテレビのニュースで身元不明の白骨死体の情報を得たのだろう。それならば、まず警察に行くのが普通だ。第一発見者に会いに行ってどうするというのだ。

 彼はもう警察に行っている……?

 そこで白骨死体が洋子だと彼が確信したのなら、第一発見者に会って、そう、たとえば死体を引き上げた場所を教えてくれ、花を手向けるからとか何とか、そんな用向きがあって香が沖田に会いに行くのも分かるけれど……。

 紗江には疑問というわけではないが、もう一つ気になることがあった。

 彼は紗江や瀬田家に対して、一言も白骨死体のことを言っていない。洋子の遺体が発見されるとすれば、それは瀬田家にとっても関係のない話ではない。それに彼は紗江に言ったではないか。洋子の失踪宣告を受けるつもりだ、と。それはつまり洋子の遺体は見つからないが、もう死んだことにしようと話ではないのか。もし、香が本気で洋子を見つけようとしているのなら、彼の口から「失踪宣告」なんて言葉が出てくるはずがない。

 最後に白骨死体の発見日だけを確かめ、紗江は腰を上げた。

 沖田家を辞した後、図書館のパソコンで当時の新聞記事を調べた。家でも調べられるが、母親や祖母に見咎められるのが嫌だった。

 たしかに白骨死体発見の記事はあった。記事は短く、死体に関する情報は何も書かれていない。記事を読んだだけでは死体の性別だけでなく、年齢も死因も分からない。事件か事故の可能性が高いという当たり前の話だけ、それ以外の可能性があるのなら教えてほしい。それに袋詰めの死体で事故の可能性なんかあるのだろうか。

 もしこの白骨死体に少しでも心当たりのある人間がこの記事を読んだら、いてもたってもいられないだろう。何も教えてくれない新聞記事を前に苛立ち、すぐに警察に電話するはずだ。

 全国紙だけでなく地方紙も検索してみたが、やはり第一発見者の名前はどこにも載っていなかった。

 あまり期待していなかったが、香は本家にいた。居間でごろごろしているところ捕まえる。紗江がまだ口を開かないうちから、香はぎくっと肩を上げた。よほどやましいことがあるらしい。

「今度は一体何」

「今日、私が誰と会ってきたと思う?」

「さ、さあ。彼氏?」

 紗江が顔をぐっと前に出すと、香は床に手をついてのけぞった。