実が落ちる前に

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現在③-6 御枷島(おとぎじま)野口歩 ブログ小説web小説

 あまり期待していなかったが、香は本家にいた。居間でごろごろしているところ捕まえる。紗江がまだ口を開かないうちから、香はぎくっと肩を上げた。よほどやましいことがあるらしい。

「今度は一体何」

「今日、私が誰と会ってきたと思う?」

「さ、さあ。彼氏?」

 紗江が顔をぐっと前に出すと、香は床に手をついてのけぞった。

「私に隠していることがあるでしょう?」

「ないよ、別に」

「ふーん。じゃあ、ばあちゃんに言ってもいいんじゃね。さっき、沖田さんから聞いたこと」

 香はげっと顔をしかめた。

「やっぱり隠していたんだ」

 香は左右に視線を泳がせたが、やがて観念したように溜息をついた。

「紗江には敵わないなあ」

「今日、K警察署に行ったの? 白骨死体の詳細を聞きに」

「うん、午前中に」

「また、嘘ついた」

 香は鳩が豆鉄砲を食ったように目を丸くした。

「沖田さんに会う前でしょ。警察署に行ったのは。そこで沖田さんのことを教えてもらったんでしょう? 警察に行ったのは、この島に帰ってくる前」

「どうして」

「分かるかって? だって、沖田さんの名前なんかどこにも載っていなかったもの。調べたのよ、当時の新聞を」

 香は呼吸を忘れたようだった。ついでに瞬きも、それにお得意の饒舌も。紗江は呆けている香にさらに問いかける。白骨死体のことを隠した香が紗江の質問に答えてくれるかは分からない。分からないからこそ、香がびっくりしている隙を衝くのだ。びっくりついでに、うっかり口を滑らせてくれることを期待して。

「警察に行ったのなら……見たの? その……骨、とか所持品とか」

 香の見開いた目がすうっと細くなる。何かを思い出しているのか、それとも思い出したくないことを忘れようとしているのか。少なくとも、香の目は、今目の前にいる紗江を見ていない。

 香は短く二度息を吐いてから、やっと目を紗江に向けた。その目には、まだ動揺が走っているが、先ほどまでの危なっかしい色はなかった。

「白骨死体のニュースを聞いて、すぐに警察に行った。でもねえ」  

 香はそこで自嘲するように笑った。

「いくら身内でも骨じゃあね。さすがに分からん。警察も、発見の翌日にはまだ何も分かっていなかったみたいで、『古い骨です。少なくとも昨日今日死んだのではない』みたいなこと言い出すし。そんなの見れば分かるじゃんねえ。だって骨じゃん。所持品っていうの? それもなかったし」

「着ていた服とかも?」

「なかったみたい。袋に骨と、あとは海水がざあっと」

「死んだ時期は?」

「それもまだだったな。まあ、昨日一昨日でもないし、一年やそこらって感じでもないみたいことは言っていたけど、別に根拠があっての話ではなかった。刑事の勘ってやつ? あとは、入っていた袋が昔の、十年くらい前につぶれた会社の肥料袋だったんだと。だから、十年以上前じゃないかって話はしていたなあ」

 呟くように言う香には覇気が全くない。祖母を見つけたぞという達成感もなければ、これから祖母を見つけるんだという意志も感じられない。香は一体どうしたいのだろう。紗江はますます分からなくなった。

 香は紗江の戸惑いに気付くこともなく、独り言のようにしゃべり続ける。覇気はなくとも、香はよくしゃべる。

「白骨死体がばあちゃんだとしたら、そのときでえっと、十五年? そんくらいだろ。まあ、計算としては合うわけだ。でも、決め手はないじゃん。何せ骨だし。俺、あの後県内の行方不明者の数、調べてみたの。そしたらさ、けっこういるんだ、これが。それまでは、ばあちゃんみたいな、いなくなり方をする人間がそんなにいるなんて思わなかったから、あの骨は絶対ばあちゃんだと思っていたけど、その自信? 自信じゃないか、なんだろ、確信? その確信も揺らいじゃって。行方不明者の中には夜釣りに行ったまま行方不明というケースもあったし。そっちの方が断然ありそうじゃん。まあ、頭から肥料袋被って海に飛び込む釣り客なんかいないと思うけど。そんなことはどうでもいいんだ。つまりね、よく考えたら、ばあちゃんが海に捨てられたなんて確証もないってことに気付いてさ」

 香は足をあぐらに組み、膝に頬杖をつく。

「白骨死体はある。ばあちゃんかもしれないけど、それがばあちゃんかどうかを確かめることはできない。ああ、困った、困った」

 最後、香は自虐のつもりなのか、軽口口調で言った。

「調べる方法ならあるんじゃないの? ほら、DNA鑑定とか。あれ、骨だとできないの?」

「骨でもできるよ。でも、比較するものがない」

 紗江は「あっ」と思った。香が頭を抱える理由がようやく分かったのだ。洋子と香は血がつながっていない。

「ああいうのって、警察にとっても面倒なんだね。俺が行くと、待ってましたという感じで、『じゃあ、お前のばあさんってことで』って軽い感じでさ、白骨死体を押し付けてくんの。早く厄介払いしたいっていうのが見え見えで。なんか嫌だなあって思った。仕方ないけど」

「それで、どうしたん? 骨、引き取ったん?」

 すると、香はなぜか目を細めて、おかしそうに笑った。

「それがさあ、笑っちゃうの。最初は、骨押し付けられてそうになって、俺も、いくらばあちゃんかもしれないっていったって得体のしれない骨を引き取るのはさすがに嫌だったからさあ、家族と相談しますって言って逃げたの。で、二回目。けっこう悩んだんだよ。今度行ったら、その場の流れで『じゃあ、うちのばあちゃんでってことで』って言うじゃん、絶対」

 そんな軽いノリで白骨死体を引き取る馬鹿もいやしないだろうに、紗江は呆れて香を見た。

「でも、このまま、知らぬふりってのもさあ。だって、ばあちゃんかもしれないわけじゃん。ばあちゃんが警察署だか無縁墓だかに入れられるのはさ、せっかく海から引き上げられたってのに、かわいそうだと思って。で、思い切って行ったのよ。そしたら」

 香はそこで、もう我慢できないというように、ぶっと吹き出した。

「男だったんだよ、男。その白骨死体。調べたら、性別は男性。年齢は……そこまでは教えてもらわなかったけど、男であることは間違いなし。ばあちゃんの可能性もなし。あー、悩んで損した」

 香は手の甲で口を押さえながら笑う。

「じゃあ、結局おばあちゃんの行方は分からずじまいってこと?」

「だな」

「白骨死体がおばあちゃんじゃないのなら、どうして沖田さんを訪ねたの?」

「昨日、言ったじゃん。三神島の様子を訊きに行ったんだよ。白骨死体のことは、まあ、もののついでに訊いてみただけ。ほら、これから出てくるかもしれないわけじゃん。ばあちゃんの死体が。心構えだよ、心構え。たとえばばあちゃんの骨を海から引き上げてさ、それなのに俺が腰を抜かしてうっかり手を離して海の中にどぼんなんてなったらさあ、笑うに笑えないじゃん」

 と、笑いがら言う。

 香は笑っているが、紗江は香の話を聞きながら、胸がざわつくのを覚えた。

「おばあちゃんを探しているの?」

 今更、洋子を探しても……生きているわけがない。だから、香に洋子を探すつもりなんかないはずだ。紗江は漠然とそう考えていた。でも、違うのかもしれない。でも……だったら、どうして……。

「そりゃあ、見つからないよりは見つけてあげた方がいいだろ」

 

「だったら、どうして失踪宣告を受けるなんて言うの? 失踪宣告を受けるってことはおばあちゃんを」

 殺すと言いかけて、紗江は言葉を飲みこんだ。

「それは、そうしないと俺がじいちゃんの遺産を全部相続できないじゃん。書類上、死んだことにするってだけの話」

 香は言いながら、今度は両手で髪をかきむしった。頭全体を鳥の巣にして、やっと香は両手から力を抜く。

「でも、これでよかったんだよな」

「えっ?」

「白骨死体のこと。ばあちゃんじゃなくて」

 そうだろうか、紗江は首を傾げた。洋子の方がよかった。それですっきりした方が。相続だって、失踪宣告なんて面倒な手続きをする必要がなくなるのに。それとも香は、もしかして。

「おばあちゃんが生きているのと思っているの?」

「まさか」

 と、香は笑う。

「それはない、ない。あの晩、あれだけ島中を探して見つからなかったんだから。といっても、俺は島にはいなかったから、知らないけどね。でもさすがに、手抜きしたりはしないだろ? いくらばあちゃんがあれだからといって」

 役に立たないうまずめだからといって、紗江は頭の中でそう補足する。子を産まない女は、軽んじられる。

「ばあちゃんは車の運転もできなかったし、できたところで島からは出られないし。あの日、ばあちゃんを船にのせたって人もいなかった。島におらず、海に出る足もなければ、残りは海の底だ。だから、俺は白骨死体のニュースを見たとき、『やっと見つかった』って思った。これで、やっとすっきりするって」

 香は一度唇を閉じてから、低く唸った。

「俺が白骨死体のことを知ったのは、新聞じゃなくてテレビだったんだ。テレビは新聞ほど詳しくなかった。ただ、白骨死体が見つかったってだけ。だから、俺は『よかった』って思った。これでやっと、ばあちゃんを墓に入れてやれるって、まあ、そこまで考えていたわけじゃないけどね。どっちかつうと、これでずっと気がかりだったことから解放されるって感じ? こういうと、あれだね、ばあちゃんよりも自分の気持ち優先って感じで、ばあちゃんに申し訳ないなあ。でもまあ、どっちでもいいか。見つかるにこしたことはないんだから」

 香はため息をつく。

「そう、見つかった方が見つからないよりはいいと思っていたんだよ、俺は。まさか、袋に入った白骨死体だったなんて、警察に行くまでは思いもしなかった。考えりゃあ当たり前だよなあ。裸の白骨死体じゃあ、海の中でばらばらになって終わり、見つかりっこないもんな」

 紗江は香が苦悩の表情を浮かべる理由が分からない。どうして袋に入っていてはいけないのだろう。むしろ、香が言う通り、袋に入っていなきゃもう永遠に見つからないのだ。袋に入っていて万々歳ではないか。

「だって決定打じゃん。袋入りの白骨死体なんて見つかった日には。父さんが殺して海に捨てた、はいこれが真相です」

 紗江はあっと思った。

「もう、ばあちゃんが誤って崖から転落、事故でした、チャンチャンって線はなくなるわけだ。ばあちゃんは袋詰めにされた後、海に捨てられた。袋詰めだよ、袋詰め。洒落にならん。父さんの罪がまた一つ増えるのかあと思うと……ね。妻や娘を殺したうえに母親までって……うわあ、息子の俺でもさすがにひくわあ。だから、ね。白骨死体がばあちゃんがなくてよかった。でも、親子って不思議だよな。この期に及んで父さんがそこまで人でなしだったとは思いたくないんだから。父さんが怪しい袋を車に積んでいたという目撃情報もあるのにね。心のどっかでそんなはずはないって」 

 紗江は言葉がなかった。