実が落ちる前に

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現在④-2 御枷島(おとぎじま)野口歩 ブログ小説web小説

 本家は戦後、武朗の代になって商売のほとんどを売り払った。戦前までは本家に食わせてもらっていた分家や島民たちも戦後になると、呉や大竹に出て造船業や工場に就いた。本家で稼ぐよりもその方がずっと稼ぐことができたからだ。元々、本家と分家の強いつながりは戦前、戦中の異常な好景気の中で出来上がったものだった。戦前、対岸の湾に次々に出現する巨大な戦艦や港湾施設に島民たちは圧倒された。戦争は本家の商売も大きく飛躍させた。武朗の母親静江の代にはそれまででは考えられない額のお金が、本家だけでなく、島民たちの懐にも流れていった。だが、それは一時の夢だった。戦争が終わったとたん、その幻想は消えた。本家は戦争中に十分な財産を築いていたため、戦後不況のあおりはそう受けずに済んだが、島民はそうはいかなかった。本家は戦後も島民を雇い船を回していたが、島民たちにはそれでは足りなかった。そのうち、本土に行けば本家で働くよりもずっと儲かることを島民たちは知った。瀬戸内海の島にとって、本土に稼ぎに行くことに何の抵抗感もない。すぐそこに対岸が見えるのだ。この島は絶海の孤島ではない。

 島民たちの選択は、本家にとっても悪い話ではなかった。というよりも、肩の荷が下りたという感じだった。瀬戸内海の小さな島で、雇い主と従業員という関係は窮屈だったし、本家にはもう島民を養うだけの力はなかった。

 本家は戦後、土地を買い漁った。戦後のどさくさだ。買い叩いた土地もあったのだろう。一度ならず、町の人間が土地の恨みをはらしに島まで乗りこんできたこともあったらしい。しかし、それも今はもう昔の話。本家で采をふるっていた曾祖母ももう今はいない。

 戦後の混乱期を過ぎ、買い叩いた山が宅地造成され団地になった。うまく土地を転がした本家の懐にはここでまた巨額の金が入ってきた。さらに、町の不動産からは毎月賃料が入ってくる。この頃は、本家にとって戦時中に続く第二の黄金期だった。戦前からの商売もまだあったが、本家の商売の柱は不動産業になっていた。

 武朗は町長を二期務めた後、県議選に出馬した。最初こそは落選の憂き目にあったが、その後は順調に当選を重ね、隠居を決め島に引っ込むまで五期を務めあげた。隠居した武朗には再び町長の席が待っていた。

 ただ、武朗が選挙に出る度に本家の財産は減っていった。

 武朗が手放した商売の一つを紗江の祖母が引き継いだ。祖母が「いかに時代の流れといっても本家の全てを手放すのは情けない、よそに売られるくらいなら自分が買いとる」と言ったのだ。祖父の雄司は当時、地銀に勤めていたが、祖母に従って銀行を退職し、瀬田水産の社長の椅子に座った。業務用の牡蠣やちりめんの加工が主な事業だが、近年では家庭用に牡蠣をオイル漬けにした商品がヒットした。現在の社長は紗江の父親だが、株の大部分を持っているのは祖母だ。

 悠太朗の死によって、父は会社だけでなく町長の座も武朗から引き継ぐことになった。

 かつて、武朗が健在だった頃、島の二大勢力は資金力の差によって、漁業海運系が農業系を圧倒していた。牡蠣一つとみかん一個では懐に入る金が全く違う。それにくわえて、島は造船業も盛ん、本土側の埋め立てや瀬戸内海に次々とかかる橋の補償金も漁業海運系の住民の懐を潤した。羽振りのよい海の男たちに担ぎ上げられて、町長武朗は大いにその権勢をふるった。

 武朗の病と悠太朗が起こした事件をきっかけに本家のもとに結集していた漁業海運系の結束は弱まった、漁業海運系と農業系の力は拮抗した。紗江の父親が婿養子ながら武朗から地盤を引き継いだとき、農業系が推す候補者とはわずか百票差での勝利だった。議会では相変わらず農業系の力が強く、父親の町長職はこれまでにない厳しい状況での船出となった。

 父は農業系の懐柔と取り込みを図った。

 この頃、オレンジをはじめとした安い輸入品におされて、柑橘の価格は年々下落し続けていた。さらに、もうけが見込める歳暮の時期には、かつてはなかった果物が贈答用として店頭に並ぶようになっていた。

 父はまず、一年中柑橘を保存しておくための大型冷蔵庫を備えた柑橘加工工場を作った。果実はジャムやジュース、缶詰などに加工し、付加価値をつけた商品を製造することにしたのだ。「島」というブランドとイメージ戦略で大手企業の商品よりも高値で売りさばいた。スーパーではなくデパートや産直市に的を絞った販売が功を奏した。この頃、各地の特産品が消費者の注目を集め始めていた。牡蠣の家庭用加工品の販売で培ってきた小売店とのコネがこれまでと全く違う分野の新製品を店の棚に置いてもらうのに役立った。一年を通した加工品の販売と工場での雇用が農家の収入を安定させた。

 父は二度目の町長選挙では農家の票を大いに集め、楽々と当選した。武朗との違いは、票を集めながら本業でももうけを出したことだ。父はあくまで商売人だった。商売人として、たとえ選挙のためであっても金をどぶに捨てるような真似はしなかった。

 武朗だけでなく父と比べても生前の悠太朗は野心家ではなかったようだ。元々、島の男には珍しいのんびりとした性格だったうえに、年をとってから子に恵まれたため、仕事よりも家庭、二人の子供と遊ぶのが何よりの楽しみという男だった。

 悠太朗が肌に合わない島を出て行かなかったのは本家のためというよりも、洋子のためだった。舅姑を順番に看取りながら愛人宅に入り浸る武朗の帰りを待ち続けていた洋子を本家の広い屋敷に一人置いておくことはできなかったのだろう。武朗は県議をやっている間、宮田浜子と一緒に街で暮らしていた。自分と血が繋がっていないからこそ、悠太朗は洋子が理不尽な、しなくてもよい苦労をしていると不憫に思っていたらしい。

 本家の犠牲という言葉は洋子にこそぴったり当てはまる。紗江の記憶に残る洋子はいつも、自信のなさそうな、申しわけなさそうな表情を浮かべていた。特に祖母にはとても気を遣っていた。子供の目で見ても、その姿はかわいそうだった。子を産まない嫁とはこれほど立場が弱いものなのかと幼心に恐ろしく思ったものだ。武朗の行いを咎める者は親戚中見回しても、一人もいなかった。全て、子を産まず嫁の責任を果たしていない洋子が悪いのだ。

 悠太朗の結婚が遅かったのは、彼にとっての祖母、洋子にとっての姑静江の死を待っていたからだ。祖母は悠太朗に見合いの話をいくつも持って行ったが、悠太朗によって全て断られたらしい。洋子が邪魔をしているのだと祖母は愚痴っていたが、真相は違ったようだ。

 悠太朗が結婚相手に選んだのは、静江が入院していた病院の看護婦だった。祖母は彼女が不満だった。患者の家族に色目を使うなんて、と紗江も聞いた覚えがある。悠太朗が静江を恐れて、彼女の生前は結婚を控えていた。結婚当初は、「あそこの嫁さんは偉い」と陰口を叩く人もいた。

 武朗が最初に倒れたのは愛人宅であった。その頃、県議を引退した武朗は宮田浜子と一緒に島に帰ってきていた。だが、本家には居つかなかった。

 狼狽した宮田浜子は本家に駆け込んだ。洋子はおろおろするばかりだった。普段は人一倍おっとりした悠太朗が、そのときばかりはしっかりしろと洋子をしかりつけたらしい。「あんなにかっこいいお父ちゃんは初めて見た」とあとで、沙紀が紗江に教えてくれた。

 とはいえ、このとき悠太朗が何かの役に立ったということはなく、一一九通報をしたのも、救急車が来るまでの間悠太朗に心臓マッサージをしたのも、「偉い」と評判の悠太朗の嫁、由紀だった。このとき「偉い」は陰口ではなくなった、由紀に対してだけは。

 武朗が倒れた日から本家に不穏な空気が漂い始めたのだ。あの日を境に、潮目が変わった。だが、悠太朗と洋子の互いを気遣う気持ちやちょっとやそっとの波風で揺らぐようなやわなものではなかったはずだ。あの家族に殺人や心中事件などという不幸が起きる余地なんて全くなかったのに、何が悠太朗をあそこまで狂わせたのだろう。

それが血なのか。

 祖母と母には不思議と死がつきまとっている。二人とも生まれたばかりの子供を亡くしている。紗江には姉がいたのだ。二人と同じ血を継いだ悠太朗もまた、死の匂いをまとっていたのかもしれない。彼の地位や金に執着しない性格もまた、死におびやかされた人間特有の体質だったのか。

 結局、血か。

 紗江は静脈の浮いた腕を見つめた。