実が落ちる前に

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現在④-4 御枷島(おとぎじま)野口歩 ブログ小説web小説

 香のふくれっつらを見ると、紗江は思わず頬が緩んだ。紗江の笑顔に気づいた香は、ねぎを刻む手を止めた。

「笑いごとじゃないんだけど」

「大丈夫、大丈夫。一日三個ずつ食べれば、四十九日までになくなるけえ」

 今日、紗江は祖母の言いつけで香に餅を届けにきた。正月についたまま、冷凍庫に眠っていた餅だ。瀬田家には餅好きはいない。毎年元旦に雑煮を食べるとそれきり見向きもしなくなり、年末が近づいてやっと餅の存在を思い出す。瀬田家の師走の風物詩だ。新しい餅の冷凍スペースを確保すべく、皆躍起になって餅を食べる。クリスマスが過ぎ、最後の最後、怒涛の餅地獄を味わい、「もう一生分の餅を食ったぞ」というタイミングでやっとこさ冷凍庫が空になるのだが、すぐ次の餅が来る。餅つきの朝には、家族全員が、餅を食べたくないどころか見たくもないという心境なのだ。つきたての餅にも食指が動かないのだから、瀬田家の餅恐怖症はかなりの重症である。きなこ餅を喜んで食べる分家の子らを微笑ましく眺めながら、瀬田家の新餅は正月まで縁側に出しっぱなしになる。

 祖母は瀬田家での本格的な餅シーズン到来前に本家に一人でいる香に目をつけた。これ幸いと冷凍餅を押し付けようという魂胆なのだ。

 鍋の中身は雑煮である。不幸なことに香も餅はあまり得意ではなかった。おそらく幼少期に紗江と同じ経験をしたせいであろう、だが、瀬田家が餅をつくようになったのは本家に人がいなくなったからで、紗江の今日の餅嫌いは香にも責任の一端がある。

 餅は煮れば煮るほど鍋の中で正体なく膨張していく。紗江は早めに火をとめた。具は白菜と大根だけ、正月にはこれに牡蠣が入るのだが、今の時期、牡蠣ももうそれほど珍しくない。それに、紗江は具が餅にくっつくのはあまり好きでないのだ。隣の島は、餅の正体がなくなるまで煮る。餅がすっかり知るに溶け込んだところで、具と一緒に練って食べる。紗江はそれがあるから、隣の島にはお嫁に行けない。

「お椀、どこ」

 紗江は香にお椀の場所を教えてあげる。考えてみれば、紗江が香のために料理を作ってあげるというのもおかしな話である。

「大根、かたくないか。火、通ってないぞ、これ」

「人にやらせておいて文句ばっかり言わない」

「餅、大きい方を俺に入れただろ」

「餡餅じゃなかっただけ、よかったと思いなよ」

「絶対に俺の方が料理うまいよな。紗江、家にいるんだから、ちょっとはおばさんに習っとけよ」

「余計なお世話」

「でさ、俺に二十個もの餅をどうしろというの」

「だから、こうして協力してあげてんじゃん」

 紗江は自分のお椀の餅を箸でさし示した。

 香はそれでも腑に落ちないという顔で、しばらく片方の頬を膨らませていたが、雑煮を食べ終わり、紗江が洗い物をしている間に機嫌が直っていた。居間であぐらをかいて、煙草を吸っている。洗い物を手伝うという気は毛頭ないらしい。紗江がタオルで手を拭き拭き彼のそばに行くと、ふくれっ面のはずの彼がにこにこと笑っていた。

「なあ、頼みがあるんだけどさ」

「頼み?」

 紗江は太ももの上のタオルをぎゅっと握りしめる。母親や祖母の機嫌を直してくれだとか、間をとりもってほしいだとか、そういう頼みごとは勘弁してほしい。申し訳ないが、紗江は全くもって力になれない。

 しかし、彼からの頼み事は紗江の予想していないものだった。

「三神島に行きたいんだ、四十九日の前に。誰か、船を出してくれる人を紹介してくれない?」

「三神島……? どうして、三神島に?」

「どうしてって」

 そこで香はおかしそうに笑う。

「墓参りに決まってんじゃん。墓しかない島なんだから」

 本気だったのか。紗江はこれまで冗談か、その場限りの思いつきだと思っていた。まさか、顔も知らない遠い先祖の墓にまで気にとめていたとは……紗江が意外な気がしたが、後に続く香の言葉を聞くと、納得した。

「ここ、売るぞって報告。一応、ご先祖様にもお知らせしておこうと思って。ここ、売り払ったら、もう二度と行くこともないだろうし。見納めだな、見納め、いや、参り納めか。ねっ、誰か気軽に頼める人、いないかな」

「そりゃあ、いないことはないけれど」

 紗江の頭には一人の顔が浮かんでいたが、気が進まなかった。

「沖田さんに頼んだら? 仲、いいんでしょ」

「最初はそのつもりだったんだけど」

 香は眉を寄せて、顔をしかめる。

「あのおっさん、昨日、ぎっくり腰になっちゃって。しばらく、船には乗れないってさ」

 

 悠太朗と洋子の間で何があったのか。なぜ、悠太朗は洋子を殺さなければならなかったのか。

 それを紗江に教えてくれたのは、かつての同級生であり恋人だった。