実が落ちる前に

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現在④-6 御枷島(おとぎじま)野口歩 ブログ小説web小説

 紗江が頭を抱えていると、台所から母親がこたつに入ってきた。

 母親はこたつに入ったまま、上半身をぐいっと捻った。伸ばした右手の先にみかんの箱がある。指先で器用にみかんを掴みとると、片手でみかんの皮をむいで食べ始めた。片手でというところがポイントで、母の特技の一つである。

「お母ちゃん」

「ん?」

 母親はみかんを房ごと口に放り込みながら、首を傾げた。

「昔のことなんじゃけど。おじちゃんがうちの金を横領したのが心中事件の動機って本当なん?」

 母親はみかんをのどに詰まらせ、激しくむせた。目を白黒させながら、胸を拳で叩く。落ち着きを取り戻すと、紗江を咎めるような目で見た。

「誰があんたにそんなことを言うとるん」

「誰でもええじゃん。誰いうたら、島中の人間よ。そんなことより、本当なん?」

 母親の顔が一瞬険しくなったが、その後、みるみるうちに青ざめた。

「あんたなあ、そんなの嘘に決まっとるじゃろ」

「じゃあ、おじちゃんはなんで心中事件を起こしたん?」

「それは……」

 言葉に詰まった母親はみかんの皮の手の中でいじくり回した。こま切れにしたみかんの皮を今度は一欠片ずつ重ねていく。母親は今、何を考えているのだろう。

「外ではどういう話になっとるん?」

 噂されていることは知っていても、どこまで伝わっているのか、正確なところは母親の耳にも入ってこないのだ。紗江は翔平から聞いた話を母親にした。

「おじちゃんは宮田さん、おじいちゃんの愛人にお金を払うために、うちの会社のお金を横領したって。おじちゃんは漁協の金融の仕事をしとったから、うちの会社への融資も担当していたんじゃろ。あの頃は新しい工場を作る話があったけえ、おじちゃんと父ちゃん、よく二人で会っとったよね。本人が死んだいうても、横領じゃけえ本当なら刑事事件になるのに、うちのばあちゃんの頼みで父ちゃんが被害届を出さんかった」

 母親は丸い肩をがっくりと落とした。

「やっぱり本当なんじゃね」

「別にもみ消したわけじゃないよ。いくら身内でも三千万じゃ。額が大きすぎる。事件の後、本家が持っていた株をばあちゃんが買っただけじゃ。おじいちゃんが持っていたうちの株。前々から売ってほしいと思っていたけえ、うちとしてもただ助けたわけじゃない。もちろん三千万もする株じゃないけえ、結局、うちらの損だがね。警察に届けたけえって、お金が戻ってくるわけでなし、まだどこかに残っていたんかもしれんけど当の本人は死んどるけえねえわかんないわ。ばあちゃんは身内の恥で会社に損を出しちゃいけん、他の社員にも申し訳ないからといって、身銭を切ったんだよ」

「おじちゃんが一人でやったん? あまり想像できんけど」

 頭に悠太朗の力の抜けた笑顔が浮かんだ。盗みなんて一番似合わない、坊ちゃん然とした笑顔だ。

「悠太朗は利用されただけよ。あんたが覚えとるんか知らんが、宮田浜子はあの頃、うちの会社で経理に雇っとったんよ。そんなことは嫌だったんじゃけど、おじいちゃんに頼まれてね」

 嫌だったというが、当時の母親や父親が本当にそう思っていたのかははなはだ疑問だ。少なくとも、祖母はもちろん母親や父親も洋子に同情はしていなかった。

「雇ってみたら何かと便利でね。あの人、昔おじいちゃんの会社で同じような仕事をしとったらしい。母ちゃんが数字とか算盤が苦手なん、あんた、知っとるじゃろ。つい信用して、色々と頼んでしもうたんじゃ。母ちゃんが馬鹿だったんよ。悠太朗はあの頃、漁協の融資担当で、悠太朗にとってうちの会社はお得意様だったはずじゃ。うちが借りたんが悠太朗の成績になっていたんじゃけえ。だから悠太朗はうちの会社の帳簿に関して、父ちゃんよりも詳しかったはず。悠太朗は三千万の穴は当分の間はごまかせると踏んどったんじゃと思う。あの女とグルだったんじゃけえな。悠太朗はあの女にせっつかれて手を貸しただけじゃ」

 母親は憎々しげに唇をゆがめた。

「じゃあ、おじちゃんはお金を持っていなかったん?」

「悠太朗の口座に一旦は入ったことはたしかじゃけど、すぐに引き出されとった」

 悠太朗と武朗の愛人、宮田浜子はグルだった。もし洋子が二人の共犯関係を知ったらどうか。元々、洋子は宮田浜子に怨みを持っていたはずだ。洋子にとって宮田浜子は、自分の夫を取り上げ、本家での自分の立場をみじめのものにした元凶だ。

 二人の犯罪を知った洋子は悠太朗を問い詰めた。洋子は激昂したかもしれない。夫に続いて息子まで自分を裏切って宮田浜子の味方をするのか、と。悠太朗が金を盗んだのは宮田浜子に渡すために違いないのだから洋子がそう思ったとしても不思議ではない。悠太朗は悠太朗で、洋子に横領のことを知られてしまったことに慌てただろうし、元々罪悪感がいっぱいのところに、洋子の激しい非難が加わればいくら温厚な彼もかっとなってしまうだろう、うっかり手を出してしまったとしてもおかしくはない。

 母親は悠太朗の心中の理由は横領だけだと考えているようだ。紗江は、横領はきっかけに過ぎないと考える。横領の件で悠太朗は洋子と争い、洋子が死んでしまった。殺したのかもしれないが、紗江はあえて死んでしまったと思うことにする。うっかりつきとばしたり、かっとなって物を投げつけたり……きっと悠太朗には殺意はなかったはずだ。だから洋子の遺体を前にして悠太朗は、どうすればよいのか分からなくなった。

 妻と娘を巻き込んだ悠太朗の無理心中の直接の動機は洋子の遺体遺棄だと思う。洋子の遺体を捨てたとき初めて、悠太朗は絶望したのだ。そのときまでは自分の罪をどうにか隠し通そうと思っていた。そうでなければ、洋子の遺体は火事現場で見つかるはずだ。   

 洋子の死と三人の無理心中は別の事件なのだ。同時に起きたものではない。

 紗江は一つ気になったことがあった。

「あの事件が起きなくても、おじちゃんがしたことはばれとったん?」

「近いうちに父ちゃんが気づいたじゃろうね。うち、あの頃、銀行からもお金を借りようと思っとったんよ。それまでは漁協からがほとんどだったんじゃけど、会社を大きくするし販路も拡大したい、これからは銀行さんと上手く付き合っていかんといけんって父ちゃんが言ってな。工場のこと、銀行さんに話したら意外にも融資できるいう話になって父ちゃんも舞いあがっとった。銀行に出すけえ帳簿を整理せにゃあいけんなあ言うとったところに、あの事件が起きてしもうて。確かめてはないけど、多分、ばあちゃんから本家に話が漏れとったんじゃ。母ちゃんは金の話じゃ思うて誰にも言わんかったし、父ちゃんは口が堅いけえね」

 洋子がどうやって悠太朗と宮田浜子の犯罪に気付いたのかだけが分からなかったが、ここにきて紗江はぼんやりと想像することができる。

 もしかしたら、洋子が知ったのは祖母から聞いた銀行の融資話だけだったのかもしれない。洋子は何気なしに悠太朗にその話をした。洋子は息子の仕事に悪影響が出ることを心配したのかもしれない。悠太朗は当然驚く。悠太朗の動揺に気付いた洋子は悠太朗を問い詰めた。悠太朗は母親に助けを求めるつもりで、自分のしでかしたことを打ち明けたのかもしれない。悠太朗は宮田浜子の洋子に対する憎悪がそれほどのものを気付いていなかった。当時、表面上は洋子と宮田浜子は波風を立てず付き合っていたから。

 洋子は悠太朗の期待に応えなかった。予想外の洋子からの非難を浴びた悠太朗は逆上して洋子を死なせた。

「香は横領のことは知っとるん?」

「知らんかもね。あの頃はそういう話をするにはまだ子どもすぎたもの」

「今回は話すつもりなん?」

「さあね。ばあちゃんが決めるじゃろ。うちもここにきて恩着せがましい真似はみっともないけえしとうはないけど、でも本家を売るなんて言いだしたからねえ。少しは釘をさしとかんといけんかもしれんね」

 母親は疲れた顔で新しいみかんをむき始めた。

 香が抱き続けた「どうして」の答えを紗江は見つけたかもしれない。ただ、紗江の口から彼に告げるのは気が進まなかった。香はきっとこんな結末を想像しなかっただろうと思うからだ。

 一晩考えた結果、紗江は予定よりも一時間早くベッドから起きた。もう一方の当事者に当たってみよう。香に告げるのは、その後でも遅くはない。

 

 上がり框に仁王立ちした宮田浜子は靴ベラを持って紗江を玄関から追い出す。紗江は頭を手で庇いながら、何とかその場に踏みとどまった。