実が落ちる前に

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現在④-7 御枷島(おとぎじま)野口歩 ブログ小説web小説

 上がり框に仁王立ちした宮田浜子は靴ベラを持って紗江を玄関から追い出す。紗江は頭を手で庇いながら、何とかその場に踏みとどまった。

「人聞きが悪いことを言うんじゃないよ。あの男がしたことに私は一切関係ないわ」

「じゃあ、一銭も受け取っていないんですね」

「金は受け取ったよ。当然だろ、何が悪い。私は武朗さんに一生尽くしたんだ。そのくらいもらわなきゃ、わりに合わんわ。でも出所知らないよ。私はあの男が持ってきたお金を受け取っただけさ。あの男がどこでどう都合したのかなんて、全く興味ないね」

「でもおかしいと思わなかったんですか。悠太朗さんはずっと、お金はないと言い続けていたんでしょ。それなのに、いきなり大金を持ってきたら、普通は変に思って受け取らないんじゃあ」

「本家に金がないなんて信じられるか? 私はあの男が出し惜しんでいるとしか思っていなかったから、やっと出したかと思っただけさ。それに私は犯罪に手を染めてまで金を用意しろとは言っていないよ。誠意を見せてくれと言っただけさ」

 思い出し笑いだろうか。彼女は高笑いをしてから、

「あんたんとこも大変だねえ。本家に子供とられて、金とられて。本家に泣かされたいう意味では、あんたんとこも私も同じ境涯よ。よう耐えとるわ。あの女はさ、うまずめのくせに本家の嫁の座に居座った。恥知らずな女だよ。武朗さんは私と結婚するはずだったのに。子も産めない女が男を独占する権利なんてないね。ましてや、男の家でのうのうと奥様生活なんて、図々しいにも程があるわ」

 紗江は後ずさりして玄関の戸を閉めた。宮田浜子の毒気に当てられて、足元がふらつく。紗江は日陰を見つけてしゃがみこんだ。

「すっげえばあさんだな」

 顔を上げると、翔平が呆れた顔ですぐ隣でしゃがんでいた。

「外まで聞こえてきたぞ」

 翔平は掌を団扇にして冷や汗が浮かんだ紗江の頬に風を送りながら、おかしそうに笑った。

「自分だって子がいないくせに、偉そうなばあさんだな。紗江、まだ気分が悪い? 今日はやめとくか」

「ううん、もう大丈夫」

 紗江は立ち上がった。

「早く行こ。香が待っている」

 

 翔平は久しぶりに見る香にびっくりしていた。もしかしたら、翔平の初恋の相手は沙紀だったのかもしれないなと、紗江はこのときはじめて気が付いた。

 翔平は最初、年上ということで香に気を使っているようだったが、そのうち彼の目は落ち着きのない小学生を見守る大人のような目つきに変わっていった。まあ、香を相手にすると大抵の人間がこうなる。知り合った当初こそ、見た目のよさから彼と親しくなろうとするが、三十分も経てば引き取り手を探して周囲をきょろきょろと見回し始める。だが、ここは海の上だ。他に香の相手をしてくれる人間なんかいない。

 香は船を操る翔平にぴったりとくっつき、ほとんど翔平の肩に額をすりつけるくらいの距離からいつものマシンガントークを繰り広げている。翔平が子犬ような目で必死に紗江に何かを訴えている。

 香はいきなり翔平の腕を掴んだ。翔平はぎょっと上半身を引く。香は翔平の戸惑いなどいっこうに気にかけず、翔平の手首を持ち上げた。彼はただ、翔平の腕時計を見たかっただけらしい。

「三神島までどのくらい?」

「えっ、ああ、そうだな。三十分くらいかな」

 翔平の口調にはまだ動揺がみえた。紗江は笑いをかみ殺した。

「ふーん。年間で潮の流れはけっこうかわるの」

「まあ、潮の流れが複雑なところだから」

「じゃあ、最短で何分くらい?」

「えっ?」

「三神島まで」

「ああ、二十分くらいかな」

「二十分ね」

 香は念を押すように繰り返した後、なぜか紗江を見た。「ちゃんと聞いていた?」というように。

「それがどうしたの」

 紗江が香の視線に問うと、香は肩をすくめた。そのとき、やっと翔平の腕は香から解放された。

「別に。あとどれくらいで着くかなあと思っただけ」

「もしかして、香、酔っている?」

 香は目を見開いてから、へらっと笑った。図星だったようだ。

「情けない。それでも島の男なの」

 翔平の船は低速で進んでいる。島を出て三十分、ようやく見えてきた三神島はお椀をふせたような形をしている。

 船寄の木は朽ちていた。紗江は踏み抜かないようにそろりと船から下り、杭に舫い綱をかけた。

 無人の島だが、一応コンクリートで作った道がある。だが、長い間補修していないらしく、至るところに走ったひびからは雑草が伸びていた。

 今、墓参りのために三神島に通う人間が島にどれほどいるだろうか。紗江は十七年前の盆以来だし、最近では本家はもちろん、親戚の中にも墓参りに来た人間はいないはずだ。欠かさず通っているのは祖母だけ。現在、祖母が墓参りするときは、適当な漁師に運んでここまで運んでもらっている。悠太朗も武朗も島からいなくなった後、瀬田家では海の足がなくなってしまった。母も父も免許だけは持っているが肝心の船がない。悠太朗の船は警察が持って行った後、どこに行ったのか、行方不明だ。祖母が家族には黙って処分したのかもしれない。父の会社に船はあるが、使っているのはもっぱら社員達で父は自分で運転したがらない。自信がないのだろう。

 海からすぐに山を登る坂道になる。この傾斜が作っている地形を山というべきか、山の形をした島というべきか、平地がないために何とも言いがたい。頂上には村上水軍の城跡があるが、あれを城と呼ぶのはいくら何でもおこがましい。砦、いや、やぐらだ。

 墓地は坂道をちょうど半分登ったところにある。「ここまで十分」、紗江の背後で息を切らしながら香が言った。船酔いの後の山登りで、さすがの彼も元気がない。

 段々畑のように傾斜地をならした作った墓地だ。ざっと見たところ二十家族ほどある。墓地の広さはそれぞれだ。もちろん本家の墓地が最も広い。一番高い場所にある。

 紗江は十七年ぶりに先祖が眠っている墓地に立った。墓の前には枯れた菊の花が供えられている。先日のお彼岸に祖母が持ってきたものだ。

 墓地の周りに高い木はない。年に一度、島の男達が手入れするのだ。

 香が古い花を捨て持参してきた花を墓に供えていく。墓はいくつもあるが、香はきちんとすべての墓に花を供えた。墓の数を覚えていたのだろうか。そんなわけがない、最後にこの島にきたとき、彼はまだ子供だったのだから。紗江は香の花を準備する香の手際のよさに少し違和感を覚えたが、肝心のお線香を忘れる彼を見てその違和感はすぐに消えた。なんだ、いつもの抜けた彼じゃないか。

 仕方ないから線香のない墓に手を合わせた。胸の中でゆっくり二十数えて目を開ける。横を見ると香はもういなかった。あれだけ墓参りしたいと言っていたわりには、ずいぶんあっさりとした墓参りではないか。御先祖様に本家を売ることを報告すると言っていたくせに。それとも、顔向けができない……か。

 紗江は二人に倣って、墓地のへりに立ち海を見下ろした。潮風が頬に当たる。島育ちの紗江にとっては、ノスタルジーを感じずにはいられない眺めと潮の香りだ。横の香も同じように感じていればいいのに。だが、紗江は彼の表情を確認することができなかった。香はきっと冷めた、何の感慨もない目で海を見ている……それを見るのがこわかった。

 海から空に向かってまっすぐ伸びる岩がある。島の人は天狗岩と呼んでいる。天狗の鼻に似ているからか。だがまっすぐ立っている岩ならなんでもかんでも天狗というわけにはいかないだろう。他にそう呼ばれる理由があるのかもしれない。周囲に天狗が住んでいそうな山はないから、天狗が降りたつ岩というわけではなさそうだが……となると、やはり鼻か。もしかしたら干潮時には額や頬の部分が海から顔を出すのかもしれない。残念ながらここに通っていた頃の紗江には天狗岩に対する興味がなかったために、そのいわれを聞くチャンスを全く逃してしまった。

 それにしてもいい眺めだ。近くで見るとあっと驚くようなスピードで進む貨物船も遠くから見ると亀のようにゆっくりだ。

 紗江はしばらく何も考えず海を見つめていたい気分だった。だが、香がごそごそと動き始める。とても癪なことだが、紗江は海から香に視線をうつした。

 香は自分の先祖の墓を一つずつ観察しながら歩いている。一つの墓の周りをぐるぐると回ったかと思うと、隣の墓に刻まれた文字を指で一つずつなぞってみたり、手で墓石についた泥を拭ってみたり。紗江は香から視線を横にずらし、墓の数を一つずつ数えてみた。

 墓石は二列に並んでいる。一列目に六つ、その後ろに四つの墓が控えていた。御影石の墓石は一番新しい墓だけだ。

 一番小さな墓に目をやる。それは一列目、墓地の入り口から一番遠くにある。今紗江が墓を前に立っているところから見ると、一列目の一番左だ。

 まぎれもなく、それは石だった。文字らしきものが刻まれているが、一文字も読めない。そもそも石の表面にある溝や模様が文字なのかどうかも怪しい。これが庭にあれば庭石だし、墓だと言われれば昔飼っていたタマの墓だと思う。それくらい、それは何の変哲もない石だった。

 香もその墓が気になったようだ。墓の前に回ると、地面に膝をつき両手をついて、墓に顔を近づける。文字らしき模様を指でなぞっていたが、やっぱり読めなかったらしい。しばらく首を傾げたり、未練がましく小枝で模様にこびりついた泥や苔をこそげ落としたりしていたが、やがて香の関心は自分の足元にうつった。

 墓の前には香がついさっき供えた花がある。焼物の花瓶が各墓二つずつ、花瓶は地面に直接埋められている。

 香は花瓶と花瓶の間の地面を凝視している。なんだ、クワガタでも見つけたのか?

 それまで香の様子を見守っていた翔平が香の背中に近づき、「どうしたの?」と問うた。紗江も香の背後に立ち、香の手元を覗き込む。

「本当に、骨入っているのかな?」

「はっ?」

「ちょっと掘ってみない?」

「何、言って……」

 香のあまりに罰当たりな提案に紗江は思わず香の頭をはたきそうになった。はたいてはいない。すんでで止めた。

「大丈夫だって」

 香は肩越しに紗江を見上げて、けらけら笑う。

「入っていたとしても、どうせ犬かヤギの骨だよ。こんなみすぼらしい石が人様の墓なわけないじゃん。そのへんで拾ってきたみたいな石」

 香は言いながら、小枝で地面をほじくり始める。紗江は「やめなって」と香の腕をすがりつく。その拍子に、地面に膝をつく。香のもう片方の腕には翔平が掴んでいた。

 香は一瞬、きょとんとした顔で紗江を見つめる。紗江は強い念を込めた目で香を見返した。無言の圧力、無言の制止だ。これだけ念押しをすればさすがの香だって……

「そういえば、向こうにシャベルがあった気が」

 香は言いながら、二人の手を振り切って立ち上がる。びっくりしすぎて尻餅をついた紗江を捨ておき駆けだそうとする香を、翔平がぎりぎりのところで抱きとめた。

「待て待て、待て。墓掘りはだめだろ」

 さすがの香も翔平に止められては強行はできないらしい。翔平に両肩をがっしり挟まれた香は、首だけを曲げて未練そうに駆けだそうとした方角を見ている。

「それにどうしてシャベルがあることを知っているんですか」

「沖田のおっさんが言っていたし、それに昔からあったじゃん」

 翔平から解放された後も香は不満たらたら、靴の爪先で地面をほじくる。紗江はまた香が無茶なことを言いだす前に、

「そろそろ帰ろう。お昼になっちゃう」

「香さん、帰りま……」

 そのときだった。香が掘り返した地面から、何かが出てきた。

「何だろ」

 香はしゃがんで、小枝と手で地面を掘り始める。

 香が掘り返していたのは墓の前の地面だから、そこに骨があるわけがない。それに、それは地面のほんの数センチ下に埋まっていただけ、埋めたというよりも、時間の経過とともに風に運ばれ堆積した砂や枯れ葉に埋まったという印象だ。

 顔を見せているのは、地面に埋まった何かのほんの一部だった。土に汚れたそれは……。

(布?)

 翔平も手伝い始める。ある程度掘ったところで、香がえいっと、それを引っ張り出した。そして、香は指先にそれをぶら下げて、自分の目の高さまで持ち上げる。

「お守りだ……」

 朱色の絹地、金糸の刺繍。刺繍の文字までは読めないが、それは何の変哲もないお守りだった。

 香はお守りの表面の汚れをこすり落としてから、小首を傾げる。

「これ、おたくのばあさんの落とし物じゃない?」

 たしかに、神社巡りが趣味の千江はお守りをたくさん持っている。でも……

 お守りを見た瞬間、紗江の頭に何かがよぎった。違和感か不安か、何かの警告か。正体のわからない何かがかすめた。

「返してあげなよ」

 香が紗江の手にお守りを載せようとする。紗江はそれを拒んだ。

「こ、困る」

「へっ、どうして?」

「だって、うちのばあちゃんのって決まったわけじゃないじゃん」

「おたくのばあさん以外、誰のだっていうの。最近じゃあ、誰も来ていなかったんだろ。まあ、そう遠慮するなって」

 紗江は両手を背中に回して、首を横に振った。

「今日のことばあちゃんに言っていないし」

「あっ、そうなんだ」

 香はやっと紗江が拒む理由に気付いたらしい。だが、すぐににっこり笑って、

「じゃあ、そのへんで拾ったことにしておけばいいじゃん」

 香は紗江にお守りを握らせると、やっと満足そうに「さっ、帰ろ。腹減った」とのたまった。

 帰りの船の中、再び船酔いに襲われた香は座り込んでぐったり、両手で耳をおさえてうなだれている。

 翔平が紗江に耳打ちしてきた。

「さっきの捨てたら? 持って帰りたくないんだろ」

「でも、捨てたりしたらよくないことが起こりそう」

「そうか?」

「だって、一応お守りじゃん」

「墓に埋まっていたお守りなんて、持ち帰る方が祟られそうだけどな」

 紗江はお守りが入ったポケットに手を入れた。指先でその形、湿った手触りを確かめる。

 香が言う通り、祖母のお守りだろう。だが、祖母には渡せない。今日のことを祖母には伝えていない。

 じゃあ、翔平が言う通り、捨てた方がよいか。

 そのとき、再び紗江の頭に何かがよぎる。何だろう、この感じ。紗江は正体の見えない何かを見極めようとしたが、目にうつるのは海と少しずつ近づいてくる島だけ。肝心なものは影も形も見えない。

 なんとなく分かることはこのお守りは今は捨ててはいけないということ、そして祖母にも渡さない方がいいということだった。

 紗江はポケットの中でお守りをぎゅっと握りしめた。

「相変わらず騒がしい人だね」

 翔平は笑いをかみ殺しながら言う。

 紗江は肩をすくめて、

「全然成長していないよね」

 すると、翔平は首を傾げた。

「でも、雰囲気は昔と違うな」

「そう?」

 翔平は「えっ」と驚いた顔で紗江を見た。翔平のリアクションに今度は紗江が「えっ」と驚く。どうしてそんな顔を浮かべるの……だが、紗江がそれを問いかける前に翔平の顔は、考えこむような表情になった。眉を寄せて、目は伏し目がち……唇を軽く噛んだ後、翔平は囁くように言った。

「紗江は彼のすぐ近くにいるから気づかないかもしれないけど、俺の目には、人が変わったように見えた」

 紗江はぽかんとした。紗江には翔平が言っていることがよく分からなかった。

「まあ、俺はあの人のことよく知らないからわかんないけどな」

 翔平は取り繕うように言ってから、「前言撤回」と笑った。