実が落ちる前に

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現在⑦-1 御枷島(おとぎじま)野口歩 ブログ小説web小説

 火事から一夜明けてみると、燃えたのは蔵だけで母屋は無事だったことが分かった。現場検証が続いているということで、まだ焼け跡の片付けはできない。

「おじいちゃんの四十九日は延期かね?」

 紗江は不謹慎とは思いつつも、期待を込めて言った。四十九日をしないうちは香は島から出て行けない。

 母親は首を傾げてから、

「そうはならんじゃろ。母屋は無事だし、隣家さんにはもう頼んどるし。今日は何曜日……火曜日じゃろ。週末まではまだ間がある」

 そう言った後母親は額を押さえながら、今度は頭の痛い問題を愚痴る。

「土曜日までに後片付けを終わらせんと。最低でも見た目だけは、でないと格好が悪いわ」

「でも、今日はまだ始められんじゃろ。明日と明後日で何とかなるかね。金曜日は法事の準備をせんといけんし」

 何ともならんから延期しようという期待を込める。だが、よく考えたら、予定通りに行うにしろ延期にしろ、決めるのは香か祖母で、母親に決定権はなかった。だから、母親の愚痴に意味のないように、紗江が母親にあれやこれや言うのも全く意味がないのだ。ただ、明日から始まる片付けで獅子奮迅の働きをするように厳命されただけだ。

 朝からパトカーや消防車が本家を出たり入ったりしている。現場検証の様子も気になるし、香の様子も気になる。香は明け方、消火が終わってから本家に帰った。

 紗江は母親の言いつけで法事に使う膨大な数のお椀を拭きながら、どうして蔵が燃えたのだろうと考えた。あそこに火の気はないはずなのに。

 

 昼食の後、紗江は家から脱出した。一旦は本家の前まで行ってみたが、門にはテープが張られていて中には入れなかった。門から庭を覗くとパトカーがとまっている。まだ現場検証は続いているのだ。

 紗江は海の方に向かって歩く。いつもの場所で翔平を見つけた。

 翔平は眠そうな目をこすりながら、釣竿を垂らす。紗江はクーラーボックスに腰かけた。

「紗江んとこのおばさんが通報したんだってな」

「うん。最初に気付いたんはばあちゃんだったけど」

「ふーん、年寄りのくせに宵っ張りなんだな。うちのばあちゃんなんか九時のニュースのときにはもうおやすみなさいだぞ」

「うちもいつもはそう、昨日はたまたまよ」

 寝付けなかったのだろう。自分が死んだ後のあれやこれやが心配で。

「まあ、早く気付いてよかったじゃん、母屋まで燃えなかったのは不幸中の幸いってやつだな。丸焦げは免れた」

 たしかに、香が丸焦げにならなくてよかった。

「煙草が原因だったらしいぞ」

 日がな一日ここで釣りをしている翔平は、家にこもっている紗江よりもずっと耳が早い。

「煙草をくわえて蔵に入ったところで、すってんころりん、転倒したんだと。で、運が悪いこと、転んだ先が蔵にしまいこんでいた布団だったそうだ。きっと嫁入り道具だな、いつの代のかは知らないけど」

 由紀、香の母親のものか、それとも洋子が嫁にきたときに持ってきたものか。

「でも、どうして蔵なんかに、それも夜中」

「さあ、そこまではまだ聞いていない。探し物でもしていたんじゃないの?」

「探し物……」

 そういえば、前に香が言っていなかったか。蔵から物音がする、と。箱で蔵の壁にあいていた穴を塞いだと言っていたが、あの後、何かの拍子に箱がずれた……? 昨夜はその穴から猫でも侵入したのかも。その物音が気になって、香は蔵に様子を見に行き……で、よりによってこけた、のか。

 紗江は昨夜、夢からさめたときに気付いたことを思い出した。火事のせいで忘れそうになったが、「忘れるな」と強く念じたおかげか、頭の片隅に残っていたのだ。

 紗江の考えに翔平はふむふむと耳を傾ける。

「悠太朗が血はつながっていないとはいえ自分を育ててくれた母親を海に捨てるとは思えない、と」

 紗江はうなずく。

「自分が殺したとしても? 死体の処理に困っていたんだ。それでも海には投げ捨てないと、紗江は思うのか」

 紗江は少し迷い、顎を引いた。

「海に捨てたら、当面は安心だ。引き上げられたとしても、死体はかなり損傷しているはず、どこかの崖からうっかり足を滑らせたことによる事故死と処理される可能性だってある、大いにあるぞ」

「もしそんな可能性に賭けたのなら、自分の奥さんと娘を殺して心中したりしない」

 悠太朗は一度は海に捨てるつもりで海に出た。だが、できなかった。だから三神島に洋子を埋め、自分は家族とともに自殺した。

 翔平は鼻からふうっと息を吐き出した。

「だから、洋子は三神島に埋められたはず……か。この前、あの人が墓を掘り返そうなんて言い出したのも、洋子の死体が埋まっていると考えているから」

 少なくとも香はそう考えているはずだ。香は口先では洋子の死体が見つかっても見つからなくてもどちらでもいい、見つけたところで今更何も変わらないと言っているが、本心ではずっと気にかけていることは明らかだ。できれば、見つけたいと思っているはず、島に帰ってからの彼の不可解な行動の全ては洋子の死体を探すためだったのだ。

 香の目的に気付いたとき、紗江は墓を掘り返そうとした彼を止めたことを後悔した。彼の行動を邪魔すべきではなかった。洋子を見つけたいという気持ちは紗江だって同じなのだから。あのとき、素直に打ち明けてくれたらいくらでも手伝ったのに。

 低い唸り声に気付いて、紗江は横を見た。

 翔平は釣り糸をにらみつけるように、眉間にしわを寄せていた。

「どうしたん?」

「悠太朗が殺した母親を海に捨てない心情は分かった。だけど紗江、気付いていないのか、自分がとんでもないことを言っていることを」

「えっ?」

「あの夜、悠太朗が三神島に洋子を埋葬しに行ったとするとだぞ」 

 紗江は翔平の目を見た。

「嫁と娘が殺された時間、悠太朗にはアリバイがあったことになる」

 あっ、と思った。

「悠太朗が最後に目撃されたのが夕方六時頃、軽自動車の荷台に死体らしきものがあったんだろ。それからまっすぐ海に出たのなら、悠太朗は嫁と娘を殺せない。俺が聞いた話では、二人の死亡推定時刻は夜の七時から八時の間だった。三神島の往復には三十分以上かかるし、死体を埋めたとなるとそれ以上……想像に過ぎないけど、出火時刻の九時過ぎというのは、悠太朗が三神島から帰った直後くらいじゃないか。つまり、犯人が別にいるということだ」

「犯人が別に……」

「そう、あの晩、この島にいた人間の中に殺人犯がいる。そして、そいつはおそらく今もこの島にいる。あの晩、部外者がいたという話はなかったからな。二人を殺したのは島の人間だ」

「まさか」

「何、驚いているんだよ。紗江の言ったことを元に考えたら、こう言うしかないじゃん。それに」

 翔平は一度、言葉を切り、唇を舐めた。

「悠太朗も殺された可能性が出てくる。犯人は親子三人を殺して、悠太朗の無理心中に見せかけて、悠太朗に罪をかぶせた」

「そんなひどいことをする人がこの島に?」

 紗江は思わず、あたりを見回した。背後の車道には誰もいない。車も通らない。

「紗江の言ったことが事実だとしたらだぞ。まあ、香さんはこう考えているんだろうな」

 翔平の声からはさっきよりも幾分力が抜けていた。彼の様子はまるで悪い夢から覚め、現実を思い出したような感じだった。

「そういえば、あの人、やたら時間を気にしていたな。もしかしたら、死体のありかよりも父親のアリバイを証明したかったのかも。あの人がしているのは死体探しじゃない、犯人探しだ」

 真犯人は別にいる……本当に? 

「行くか」

「えっ」

「三神島に。こんな宙ぶらりんのままじゃあ、気持ち悪いだろ。悶々と考えたからといって答えが出るわけでもなし、百聞は一見にしかずとも言うしな。これから行って、墓を掘り返してみようぜ」

「墓を」

「そこに、洋子の骨があれば当たり、悠太朗は濡れ衣だ」

 考えるまでもなかった。紗江はすぐにクーラーボックスから腰を上げた。

「じゃあ、香を呼んで」

 現場検証もさすがにもう終わっただろう。

 ところが、翔平は首を横に振って紗江を遮った。

「今回はあの人はいいや、黙って行こう」