実が落ちる前に

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現在⑨-1 御枷島(おとぎじま)野口歩 ブログ小説web小説

 緊急手術が終わったのは夜中だった。 

 祖母は警察に連れて行かれた。

 紗江が頼めば、香は祖母を許してくれたかもしれない。だが香の怪我は事故とは説明できないものだった。紗江は警察の事情聴取に真実を話すしかなかった。

 香が手術室から病室に運ばれたのを見届けてから、紗江は病室のソファで仮眠をとった。

 朝、フェリーで島に帰った。

 フェリーを下りたときから紗江は違和感を覚えていた。

 初めて見たような気がした。フェリー乗り場もひびが走ったアスファルトも、野良猫も空飛ぶ鴎も、全てが今まで違って見えた。

 寝不足と船酔いで足元がふらつく。フェリー乗り場から家までどの道を通って帰ればいいのか。夢の中を歩いているようだ。

 すれ違う人は皆、紗江を避けているようだった。被害妄想かもしれない。思い過ごしだろうか。試しに挨拶をしようと通りすがりの人と目を合わせようとするが、誰もが急いでいた。目も合わない。

 やっとの思いで自宅に帰り着く。だが門は閉まっていた。紗江は閉口した。裏門に回ろうとした足を止める。

「彼の着替えを持って行ってあげなきゃ」

 回れ右をして、本家に向かった。

 病院に戻る途中、本土側のフェリー乗り場で寺の住職さんと出会った。彼は島行きのフェリーを待っていた。

「おはようございます」

「ん、ああ、瀬田さんとこのお嬢さんか」

「昨夜はこっちに?」

「通夜にピンチヒッターで呼ばれてね。それにしてもその荷物、どうしたの。旅行?」

「いえいえ、届け物です。香の荷物なんです」

 言いながら、もしかしたら彼はまだ昨日の事件を知らないのかもしれないと思ったが、彼は納得顔で頷いた。

「彼、やっぱり出て行くんだ」

 紗江が「えっ」と目を見開くと、住職は不思議そうな顔をした。

「違うの?」

「どうしてそれを?」

「四十九日の前にね、彼にお骨を墓から取り出したいって言われたんだ。ご両親と妹さんのお骨を。だから、島から出てもう帰ってこないのだろうと思った」

 島に帰ってきた日だ。墓参りをした後、彼は住職と何か話していた。あのとき、彼は紗江に何と言ったのか。そうだ、たしか納骨のことを尋ねたと言っていた。

 武朗だけを墓に残し、彼は島を出て行くのだ。

 

 病院に帰ると、両親が紗江を探していた。

「どこ行っとったんね。ずっと探しとったんよ」

 母親の剣幕に紗江が立ち竦む。

「香の着替えを取りに」

 母親の頬がかっと紅潮した。母親は両手で紗江の胸ぐらをつかんだ。

「あんた、今どういう状況か分かっとるん? 着替えなんかどうでもええわ」

「君江、ちょっと落ち着きなさい」

「あんたは黙っといて」

 母親は紗江の胸にすがりついて嗚咽をもらした。

「母ちゃん、もうだめじゃ。どうしてええんか分からん」

 母親は尻餅をつくように床に倒れた。嗚咽が泣き声に変わる。子どものような泣き声だ。紗江は母親の初めて見る姿におろおろとするばかり、そのうち父親が看護士を連れて帰ってきた。二人の看護士は母親をなだめながら、どこかに連れて行った。

「心配せんでええ。母ちゃんを少し休ませてあげるだけじゃ」

「父ちゃん、何かあったん?」

 昨夜の母親は取り乱すことなく警察の事情聴取に応じていた。母親があんなになったのは紗江が病院を離れたほんの二時間ほどの間だ。

 父親は周囲に目をやった。廊下に誰もいないことを確かめると、紗江を壁際のソファに座らせた。

「さっき警察から聞いたんだ。ばあちゃんが犯人じゃった。ばあちゃんが自分で警察に話した。ばあちゃんが悠太朗さんら四人を殺したんじゃ。悠太朗さんは一人も殺しとらんかった。死体を捨てに行っただけじゃ」

「ばあちゃんが犯人? 嘘じゃ」

 紗江は猛然と言った。

「なんでばあちゃんが殺さんといけんの? ばあちゃんが本家をどれだけ大切に思うとったか、警察の人は知らんのんよ。ばあちゃんは今ちょっと頭が混乱していて、自分を何をしたのか分からんようになっとるだけ。だって、どう考えたっておかしいじゃん。悠太朗さんもおるんよ。ばあちゃんが実の息子を殺すなんてありえんよ。ああ、そうじゃ。警察はばあちゃんと悠太朗さんの関係を知らんのんじゃないん? 父ちゃん、警察に行って教えてあげてよ。悠太朗さんは籍は本家に入っとったけど、本当は」

 父親は目の力だけで、紗江がこれ以上言い続けることをやめさせた。

「父ちゃんはこれから警察に行かんといけんけえ、母ちゃんを頼む。ええか、紗江。これからは今まで通りにはいかん。気をしっかり持たんと母ちゃんみたいになるぞ。父ちゃんもな、正直、これからどうなっていくのか全く見当がつかん。ばあちゃんの自白だけでどうこうなる問題でもないじゃろうし、警察も困っているようじゃった。悠太朗さんが犯人いうて決めつけたんは警察じゃけえ、今からはばあちゃんの自白が本当かっちゅう証拠を探すんじゃろう。紗江も何か訊かれるかもしれん。今からが正念場だぞ。ええな」

 頭はまだ正常な働きをしていなかった。紗江は父親に促されて機械的に頷いた。

 父親の背中が遠くなる。紗江は急に心細さを覚えて、父親を呼んだ。父親は立ち止まり一度振り返ってから、紗江の顔を見て頷いた。

 一人ぼっちになってしまった。母親はどこに運ばれたのか。尋ねてみようと思ったが、通りかかる看護士に声をかけようとした瞬間、急に気おくれを感じて持ち上げた手を下ろした。

 この気持ちは一体何なのだろう。紗江は愕然とした。どうして自分が気おくれしなければいけないのか。自分は患者の身内で、尋ねたいことは母親の居場所で、そのために看護士の足を止めることに気兼ねをする必要はないのに。

 これが身内に加害者が出るということなのか。

 遠慮しろという声が聞こえる。一人前の扱いを受けようなんて図々しいぞ、そんな資格もないくせに、と。

 人が通る長い廊下に立っていることが耐えられなくなった。皆が自分を白い目で見ている。紗江は追い立てられるように歩き始めた。

 階段を上ったのか、下ったのか。廊下をどの順番で曲がったのか。何も分からない。ただ、人を避けた。前から看護士が向かってきたら曲がった。踊り場の上から人の声が聞こえたら、階段を駆け下りた。

 気付くと、香の病室の前に立っていた。

 紗江は静かにドアを引き、病室に身体を滑りこませた。ここなら他人は入ってこない。安堵で足から力が抜けた。ベッド脇の折りたたみ椅子から香を見つめた。

 点滴の刺さった腕の手首に白いテープが巻かれている。祖母が入院したときも同じものをつけられていた。入院患者の印だ。退院時、お金を清算した後、外してもらえるのだ。

 リストバンドには香の名前が記されていた。その下に担当医と入院日、それに……

「えっ?」

 紗江は自分の目を疑った。

 香はO型だった。

 衝撃は少しずつ大きくなった。

 頭で必死にその意味を考え続ける。

 そんなことはありえないのだ。悠太朗はAB型の両親から生まれた子なのだから。

 ふと胸がざわついた。

 性格占い。さっちゃんちは皆、何型なの? 血液型を書き込んだノート。あのとき、自分は何も気付いていなかった。血液型の遺伝の知識がなかったからだ。あのノートを自分は一体どこに置いただろうか。あの頃は居間のこたつで宿題をして……紗江の横で祖母は老眼鏡で新聞を読んでいた。

 心臓の音が大きくなる。

 香の瞼が動くとき、紗江はようやく真実にたどり着いた。