実が落ちる前に

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現在⑨-2 御枷島(おとぎじま)野口歩 ブログ小説web小説

「じいちゃんとばあちゃんはどちらもAB型、二人の息子にO型の子供が生まれるはずがない。息子の奥さんの血液型が何であろうと」

 香はベッドの上であぐらになって、紗江の言葉を聞いている。紗江が言い終わると、彼は薄い入院着の肩を竦めた。

 窓の外は明るい。まだ一日が終わらないことが紗江には不思議だった。昨日救急車の香と一緒に病院に来てからもう何日も経ったような気がする。

 紗江は香の横顔に視線を戻した。青ざめた頬、血が足りていないような顔色だった。

 言ってしまわなければ。

 喉がひくひくする。紗江は手を喉にやった。自分でやらなければきっと後悔する。あのときみたいに知らないうちに香が遠くに行ってしまうのは嫌だ。どうせ嫌われるのなら、いっそ自分の手で全てを終わらせたい。

「ばあちゃんが十七年前の事件のことを自白した。あの晩、四人を殺したんはばあちゃんだった。おじちゃんはばあちゃんが、自分の生みの母親が警察に捕まらんように遺体を捨てたの」

 悠太朗は洋子を海にはよう捨てられなかったのだろう。だから、三神島に埋めた。祖母は事件後、三神島で洋子を見つけた。仰天したことだろう。祖母はきっと、悠太朗からは海に捨てたと聞かされていただろうから。

「おじちゃんがおばあちゃんを捨てに行った時点ではまだ、さっちゃん達は生きとった。おじちゃんはばあちゃんが二人を殺すなんて考えていなかったのね。おじちゃんはばあちゃんがおばあちゃんを殺した本当の理由を知らなかったから。知っていたら、おじちゃんはばあちゃんに手を貸さんかった」

 香の顔がこちらを向く。入れ替わるように紗江は香が見つめていた壁に目をやった。

「ばあちゃんな、犯行の自白だけじゃなくて動機についても話したって、今父ちゃんから連絡があった。動機は復讐」

 かたりと音がした。

 見ると、香の腕から点滴の針が抜けていた。香を腰を浮かせたが、次の瞬間には腰が抜けたようにベッドに尻を下ろした。

「復讐って言ったのか」

 紗江は一度息を吐いた。

「ばあちゃんは自分の子を殺したおばあちゃんに復讐した。おばあちゃんはばあちゃんが産んだ子を殺して自分の子と入れ替えた」

 戦後、洋子は島と本土を行き来する生活をしていた。悠太朗が生まれた直後は夫武朗が警察に捕まり、洋子は武朗のために島を長い間、離れていた。武朗が妻捕まったのは、武朗の会社が不正経理で脱税しているという匿名の告発が警察と税務署にあったためだ。告発者はおそらく水城洋子。

「水城悠太朗、あなたの父親は、瀬田千江の子じゃない。水城洋子の子だった」

 紗江は言いながら、実子を育てながら親子の名乗りをあげられなかった洋子も、子をとり上げられたうえにその子を養母に殺された祖母もどちらもかわいそうだと思った。

 香はふと遠い目をした。青白い頬が小さく震えている。

「父さんは人殺しじゃない。百パーセント信じていたわけじゃないんだ、自問自答しては否定したり自分に言い聞かせたり……やっとここまできた。分かってよかった。父さんは一人も殺していない」

 香は笑顔のままだったが、その目からとめどなく涙が落ちる。肩が震えている。香は両手でシーツを手繰り寄せると、伏せた顔に押し当てた。

 祖母のしたことが復讐なら、香は島に帰り事件の真相を明らかにすることで家族の仇を討った。十七年越しの復讐だ。

「初めからばあちゃんの口から聞き出そう思うて島に帰ってきたん?」

 彼が最初からそのつもりだったのだとしたら、彼の帰島を喜んだ自分は一体なんだったのか。

 島に帰ってからの香の行動が一つ一つ頭に浮かんだ。本家を売ると言い出したこと。遺産を放棄しないといって祖母の頼みを突っぱねたこと。蔵が燃えたのはその日の夜だった。

「煙草の火で火事なんて、嘘なんじゃろ。煙草、切らしていたもんね」

 今思い返せば、香は祖母の神経を逆なでするようなことばかりしていたのだ。祖母を逆上させ警察沙汰にしようという計算だったのだろう。そして、最後……きっと香は島に帰ってくる前に一度三神島を訪れていた。あのお守りを埋めるために。香は紗江に三神島のお守りを誰かに見せたかと何度も訊いてきた。香が知りたかったのは、祖母があのお守りを見たのかという、ただその一点だけだった。紗江にお守りを見つけさせる、悠太朗のお守りだと信じれば紗江は祖母に渡さずにはいられないだろう、いや紗江自身がそうと気付かなくとも、祖母があのお守りを目にしたら、自分が悠太朗に渡したものだと誤認すると香は考えていた。そしてそれが三神島の墓地から見つかったものだと知ったら、祖母は冷静ではいられないはずだという計算があったから、香は紗江に何度も確認したのだ。

 悠太朗が埋めた洋子の遺体、その傍らに悠太朗がお守りを落としていた。祖母は洋子を掘り返し海に捨てたのだろう。そのとき、お守りを見落とさなかったとは、祖母はきっと言いきれない。悠太朗のお守りが三神島の墓地から見つかると、悠太朗のアリバイが証明されるのだ。

「どうしてばあちゃんを庇ったん? ばあちゃんが火をつけたという証拠がなかったから?」

 違う、放火を認めても祖母は過去の殺人までは口を割らないと考えたからだ。

 蔵の火事で香を殺すことができなかったとき、祖母は香の強運を呪っただろう。自分の余命と香の強運を天秤にかけ、香を殺すことを諦めたかもしれない。そんな祖母に、最後のとどめを刺したのは香……いや、紗江だ。紗江がお守りを見せなければよかったのだ。

 さっきから紗江の声は香には届いていないようだった。彼は今、勝利を噛みしめているのか、それとも、天国極楽の家族に話しかけているのだろうか。

 香は真犯人を捕まえる日をどれだけ待ち焦がれたのだろう。

 自分と香の間に見えない壁、見えないけれど分厚い、決して乗り越えられない壁が立ちはだかっているのに気付いた。もう、手を伸ばして彼の肩に触れることはできない。

 香にとって自分は仇の家族……仇同然だった。

 香を恨むのはお門違いだ。紗江は自分にそう言い聞かせる。香は何も悪いことをしていない。法に触れてもいない。今回のことだって、香は被害者だ。それが彼の企みだったとしても、それにのった祖母が愚かだったのだ。

 心が次第に冷たくなっていく。

 香が過ごした十七年間を具体的に想像しようとしたができなかった。

 これから、自分の家族はどうなるのだろうか。

 不安で歯ががちがちとなった。

 人殺しの家族だ。祖母はもうすぐ死ぬ。だが、人殺しを出した家、その烙印はそう簡単には消えない。父親の会社は続けていけるのか。町長も辞めることになるだろう。自分と母親は? これからどんな顔をして島で生きていけばいいのか。