実が落ちる前に

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過去⑨ 御枷島(おとぎじま)野口歩 ブログ小説web小説

 警察署の敷地を出たところで恵理と会う。恵理は長いコートを着て、それでも肌寒そうに腕を身体に巻いている。

「聞いたよ」

 恵理はそう言った。

「俺も今、聞いてきたところ」

 今朝、紫の遺体が見つかった、駅から道路に下りる階段の一番下で。

「早く言ってよ」

「何を?」

「お前が殺したのかって」

「そっちこそ」

 恵理はコートの立てた襟に顎を埋めた。頷いたのかもしれないが、香には恵理の気持ちは分からない。

「葬式二件も大変ね。でももう手伝ってあげられない」

「別にいいよ。手伝ってもらうことももうないし。俺は一人でやっていけるから」

 香は恵理に背を向ける。ためらう足を無理やり前に進める。最初の一歩は息を止めて、目を閉じて……。

 そのとき、背中に大きな衝撃を受けて、香は前につんのめった。転びそうなところを、二、三歩、そこで足を踏ん張ってどうにか立ち止まりこらえた。息を整えてから、香は背後を振り向いた。

「あーびっくりした。やめてよ、もう。お前がやるとシャレにならないだろ」

「本気だと思った?」

 恵理は目を細め、笑いをこらえながら言った。屈託ない恵理の顔を見るのは、久しぶりだった。

「心当たりがあるだけにね」

 恵理はぷっと噴き出してから、

「香はやましいことだらけだもんね。私にひどいことをいっぱいした。片手では足りないくらい。でも私、そこまで根に持つ女じゃないよ。香の新しい一歩を後押ししてあげたかっただけ」

 香は自分の足元を見下ろす。

 新しい一歩……一歩どころか「おっとっと」と言っているうちに三歩も進んでいた。

「さようなら」

 恵理の声に香は顔を上げる。すでに恵理の後ろ姿は横断歩道の向こうだった。思わず追いかけようとした足を止める。

 そのとき、風が吹いた。新しい季節を運んでくる風だ。少し乾いた風が頬を撫でていく。鼻の奥が痛くなる。香は恵理の姿が見えなくなるまで、その場で立ち尽くした。