エピローグ② 御枷島(おとぎじま)野口歩 ブログ小説web小説
「あのお守り、悠太朗さんのものじゃないよね」
香はぎくっと目を見開いてから、「えっ?」とごまかすように笑う。
「香が埋めたこと、私、気付いていたよ」
あの場で祖母に告げなかったことは紗江の取り返しのつかないミスだが、気付いていたことは事実だ。
「だって、事件の日の夕方、私、悠太朗さんからお守りをもらったもの。だから、三神島に悠太朗さんのお守りが落ちるわけがない」
香は腑に落ちたけど、納得できないという顔をした。
「だから、軽につけっぱなしになっていた鍵にお守りがついていなかったのか。俺、てっきり父さんが海の上で落としたのかと思っていたんだけど、紗江が持っていたんだ。でも、なんで父さんは紗江にお守りを?」
「それはね」
紗江は悠太朗の声や口調を思い出しながら、
「あのバカがお守り程度のご利益で、合格できるはずがないのだから、だって」
香はぽかんとしてから、噴き出した。
お腹をおさえ笑うだけ笑うと、香は仏壇に近づき、ごそごそと何かを始めた。何をしているのだろうと、香の脇に回ってみると、香は仏壇に飾っていた沙紀の写真を写真立てから取り出すところだった。
「これ、あげるよ」
「ええの?」
紗江は手を差し出すのをためらった。香が持っていればいいと思ったからだ。紗江にはもう沙紀の写真は必要ない。
「もう十分だろ」
香は紗江の手に沙紀の写真を載せると、仏壇の遺影に向き直った。
「じいちゃん、これからは一人ぼっちだな。でも自業自得だと思うよ」
フェリー乗り場まで香を見送りに行く。香は来たときと同じように、ザック一つの身軽な格好だった。荷物や家の処分は業者に頼んでいると言う。
「本当にいるものないの?」
香は頷いてから、
「おばさん、怒っている? 荷物の整理、丸投げしちゃったこと」
「別に。もう諦めている。香にはもう何も期待していない」
「そっか」
「それに大した手間じゃなさそうだし」
「蔵、燃えちゃったもんな」
「見なくてもええの?」
「母屋を壊すところを? さすがに見たくないな」
だから、本家の取り壊しと自分の出発の日をずらしたのだ。
「ずるい。こっちは見たくなくても見なきゃいけんのに」
母親なんかきっと泣き出すだろう。自分だってどうか分からないが紗江がしっかりしなければ、本家の片づけはきっと終わらない。
二人で並んで歩いていると、島の人は驚いた顔で紗江達を見ていた。だが紗江は何も気にならなかった。島で生きていくということは、少しは鈍くさくならなければいけないし、目が霞み耳が遠くなっているくらいがちょうどいいのだ。
町長選挙に父親の対抗馬は結局出てこなかった。島の人は本家の威信で投票していたわけではなかった。紗江は拍子抜けしたが、それを気づくことができてよかったと思っている。家存亡の危機に足元が揺らぐような不安を覚えた。だが今後はもうそうなることはない。
「結局、おばあちゃんは見つからないんだね」
「海でバラバラだろうからなあ」
フェリーが島に近づいてくるのが見える。紗江はわざと歩く足を遅くした。
冷たい潮風が頬に心地いい。頭上高く舞い上がった鴎達が漁船の行き来を監視している。紗江は今が潮時だと思った。これ以上、前に進めば、送り出せなくなる。二度と帰ってこない人だから、別れ際はきっちりとしたかった。
もう二度と……。
その言葉が紗江の背中を押した。
「でも絶妙なタイミングだったね」
香は首を横に倒して、目で紗江に続きを促した。
「香が島に帰ってくるの、あと一ヶ月遅かったら、ばあちゃん死んでいたもの」
「どうしたの、急に」
香は何か考えるような目つきで紗江を見た。紗江が次に何を言い出すのか、香は多分気づいている。
紗江はさりげなく言うつもりだった。祖母の余命がいくばくもないことを香はいつ知ったの、と。だが、声が出る直前に喉の奥がぎゅっとなった。声が裏返る。
「お……おじいちゃんは本当に風邪で死んだの」
香の足が止まる。もうフェリー乗り場にフェリーは着いている。
香が再び歩き始めた。今度はさっきよりもゆっくりとしたペースだった。フェリーには乗り遅れるだろう。香は動き始めたフェリーの尻を眺めていた。
「どうしてそんなことを訊くの」
紗江は無言で立ち止まった。少しずつ香との距離が離れていく。香が紗江を振り向くことは二度となかった。
<了>