実が落ちる前に

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その「選択」をしたのは何歳だった?

今週のお題

 

あまりこういうことはないのですが、今日はなんだか書きたいことが思いつかなかったので、今週のお題、その「選択」をしたのは何歳だったかなあをぼーっとしながら考えていました。

 

私は大学を中退しました。

それがいつだったのか、何歳だったのか、さだかじゃないんですよね。自分のことなのに不思議。20歳にはなっていた気がするのですが、21歳だったか、22歳だったか。

大学を中退した時期だけじゃなくて、あの頃の記憶、高校を卒業する前から20代前半の記憶があいまいでぼんやりしています。

摂食障害でした。高校2年生で拒食症になって、3年生で過食症に移行、大学時代は最初から最後、中退するまで過食症、なので「選択した」わけじゃなくて、行けなくなってやめちゃっただけです。だから、時期があいまいなんですよね。

記憶があまりないだけじゃなくて、思い出したくないから意識して思い出さないようにしていました。少し前まで、本当に嫌でしたもの。通っていた大学の地名を聞いたり、家族の会話で大学時代のことが話題にのぼるだけで胸がざわざわして、なんともいえない気持ちになって、耳をふさいでいましたから。今はそんなことはなくなりましたが、耳を指でふさぐ癖だけは残っています。布団をかぶって両耳をふさぐととても安心します。

大学を中退したのは積極的に「選択した」わけではありませんが、中退したことはよかったと思います。大学を中退した後、過食症の症状がおさまっていったからです。摂食障害って自分に欲があったり期待があるうちは治らないです。見栄だとかプライドだとか、自分の長所だとか個性とか、友達もそれ以外の人間関係も一つずつ捨てていったのが過食症の頃、一つ捨てるごとに少し楽になるんです。

で、最後に大学をやめて、社会とのつながりが切れて、手ぶらの丸裸で家に閉じこもったとき、これまでのことが嘘だったみたいに過食衝動がなくなってしまいました。実は大学をやめたとき、「これでいつ過食衝動が起きても大丈夫!好きなときに好きなだけ食べられるぞ」と思っていました。それなのに、やめた途端食べたい気持ちもなくなっちゃうなんて、ちょっとだまされた気分だったのを覚えています。

 

だまされた気分といえば、私は摂食障害で悩んでいた頃、心の支えにしていたのが「これが治ったときには、今よりも一回りも二回りも大きな人間になっているはず」という気持ちでした。こんなに苦しいことを克服したのだから、スーパーマンにだってなれるはずと思っていました。でもふたを開けてみると、全くそんなことはなく(当たり前ですが)、むしろ友達も大学も将来の夢も何も持っていない自分にびっくりしましたね。摂食障害を克服してできるようになったことといえば、「一日三食おいしくご飯を食べられるようになったこと」、おない年の子が就職して仕事をがんばっているというのに、私は何も持っていないし何もできない、何やっているんだろう…と、この時期は現実が見えた分、夢の中にいたような過食症の時期とはまた別の意味で憂鬱で無気力でした。早く何か始めて追いつかなきゃと思うのに、何もやる気が起きなくて。ゴロゴロしたり、本を読んでばかりいました。病気じゃないのだから、これはもうただ怠けているだけですね。親はよく何も言わずに許してくれていたなあ。

 

大学を中退するとき、親も先生も「どうして?」「やめない方がいい」と引き留めてくれました。私もやめない方が賢い選択だろうなあと頭では思っていました。でも、やめちゃった。学んだことは、人間っていつでもどこでも、正しくて合理的でベストな選択をできるわけじゃないということ。テレビや新聞で報じる事件や芸能ニュースを見たり聞いたりするとき、「どうしてそんなバカな選択をしたんだろう」「こうすればよかったのに」と思っていました。でも、誰だってバカじゃない、どの選択が正しいのかくらい自分が一番分かっています。でも、人にはそれぞれ事情があっていつでも正しい方を選べるわけじゃない、こっちが正しいとわかっていてももう一つを選ばざるをえないことがある、他人の目にはどんなにバカげた選択だとしても。このことを学べただけでも、摂食障害になった甲斐があった……とは、やっぱり言えないな。人間、健康が一番大切です。