実が落ちる前に

自作小説を公開するブログです。暇なとき、読んでいただけたらうれしいです。小説は作品ごとにカテゴリー分けしています。日記や雑文はその他カテゴリーです。

父子家庭は危機一髪① 野口歩 web小説 ブログ小説 

 

「パパにはこのくらいのことをする責任はあると思うの」

 百合はミックスジュースのグラスから顔を上げて言った。上目遣いで俺を睨む、その目つきが幸子そっくり、背筋に寒気が走る。

「今の私達の状況は私が望んだことの結果だということは分かっている。別居を切り出したのは私の方だったもんね。パパが本来、こういう解決方法を望んでいなかったこともちゃんと分かっているし、それでも私の希望を優先してくれたことに感謝もしている。だから、じいちゃんとばあちゃんとも上手くやっていけるように努力もするわ。そりゃあ、ばあちゃんの料理はママのようにはいかないし、老人二人との生活が楽しいとは言い切れないけどさ。ないものねだりしてもむなしいだけだしね。人って与えられた環境でやっていくしかないわけよ。そうでしょう、パパ? 今更、ママが恋しいっていって泣いたってパパだって困るよね。ママはママでも違うママをつれてこられたら私だって困るし」

 俺は百合の年齢不相応な物分かりのよさに感謝しながらも、幸子がのり移ったかのような百合の喋り方に目の前が暗くなった。親子だからいつかは似てくるだろう。百合に幸子の面影が濃くうつってもそれは仕方ない。そこまで文句を言うつもりはないし、一度は惚れた相手だ、ゆくゆくはそうなってほしいとも思っている。だが、小学六年生で瓜二つになることはないじゃないか。俺は断固抗議する。さっきから会話だって、まるで倦怠期を迎えたカップルのよう。あなたの努力が足りないのだとつきあげてきた幸子がさっきから脳裡に浮かんでは消える。今更思い出したい記憶でもないのに、幸子の着ていたブラウスのボタンの色まで鮮明に蘇る。昔から、俺は幸子のその辺を見つめて喋る癖があったのだ。まともに目を合わせたら石にされてしまうと半ば本気で信じ込んでいた。それは、自分に非があったからだと今ではちゃんと反省している。

 たしかに幸子の言い分は正しかった。二人の、いや三人の生活が破綻したのは間違いなく俺の努力不足が原因だ。だが、今向かいに座っているのは新婚当初の幸子ではなく、結婚生活に倦み疲れた未来の娘でもなく、小学六年生の百合なのだ。それに相応しい雰囲気で楽しむべきだ。それでなくても、一ヶ月ぶりの父娘の食事なのだ。パパはもう少し子供らしい百合を見ていたいのに。

 百合はこっちの気も知らず、物憂げに頬杖をついて、指先でストローを弄んでいる。いつの間にそんな仕草を覚えたのだと、俺は両親の教育方針に断固、異議を申し立てる。もっとも、目下俺は玄関の敷居も跨がせてもらえない身分ではあるが。

「私、そう無茶なことは言っていないと思うのよ」と百合は続けた。「ママがいなくなって、私がパパとの二人暮らしを拒んだからといっても、パパが私の保護者であることは変えられない事実でしょう? この事実に対してパパはもう少し誠実に向き合うべきだわ。パパ、娘がいるってこと普段は忘れているでしょう?」

「そんなことはない。断じてない。パパはいつだって百合のことを一番に考えている」

 言っている途中で噎せて、俺は胸を拳で叩いた。こんなに誠意を見せているのに、百合はまだ俺を疑わしそうに見ている。

「パパは何も面倒くさくて行かないと言っているわけじゃない。ただ、百合の足を引っ張りたくないんだ。だってそうだろう? パパが教育熱心な保護者に見えるか? かたぎの仕事についていて、授業料を滞納しなさそうな親に見えるか? このご時世、複雑な家庭なんてざらにあることだし、面接室でじいちゃんとばあちゃんが並んでいたって誰も文句なんか言わないさ」

 自慢ではないが、俺の父親は地銀の頭取にまでなった人物で、いまだに何とかいう会社の顧問というたいそうな御身分だ。母親は母親で日舞の何とか流のお師匠さんだ。人前に出しても恥ずかしくない両親だと自負している。両親の方は自分達に息子がいるということを懸命の努力で忘れようとしているが。

「他人がどう思おうがそんなことはどうでもいいの。私が言いたいのはこれが私とパパの問題だってこと」

 百合はそういってから、ふうっと溜息をついた。

「私達、このままじゃいけないと思うのよ」

「その台詞はやめろ」

 思わず耳を塞ぐ。俺達は付き合い始めて五年目のカップルではないのだ。塞ぎながら、自分は幸子の何度目の台詞で結婚を決めたのか、うっかり数えそうになってげんなりした。

「パパが言わせているのよ。パパはいつだってそう。面倒くさがりで、無気力で、だらしなくて。世のお父様たちは家族に対しても世間に対してももっと精力的に取り組んでいるわ。そりゃあ、ちゃんとしたお父様とパパを比べてもむなしいだけってことくらいちゃんと分かっている。でも、よそは奥さんと娘とペットの犬とお隣の奥さんと、それだけのものに誠意を示している。パパなんて私だけじゃない」

 百合はじろりと俺を睨んだ。

「私は何も一人前になるまで育ててくれなんて言っていないのよ。毎日、飯を作ってくれだとか毎朝髪を三つ編みに結んでくれだとか、そんなことをパパに求めているわけじゃないでしょう? 花柄のパンツを買ってとかナプキンの使い方を教えろなんてことも言っていない」

「な、ナプキン!」

「大声を出さないでよ。恥ずかしい。例えばの話よ、例えば。私はパパとの二人暮らしを選んだら降りかかってくるだろう苦労を勘案して、じいちゃん達との暮らしを選んだって言いたいだけ。私だって苦渋の選択だったんだからね。パパと暮らすと私まで堕落してしまいそうだし」

 娘にここまで言われる父親がいるだろうか。まるで悪の根元、寄るな触るなと病原菌扱い。百合、俺のメンタルが人並み外れて強くてよかったな。並のお父様達じゃあ、今頃梁に縄をかけている。

「私はただ面接日に背広を着て、M女学院に来て欲しいだけ。できれば前日に散髪に行って、靴も磨いて、面接の心得にも目を通しておいてほしいけど。パパにそこまでは無理だもんね。そこまでは言わないわ」

 俺はコーヒーに砂糖を足した。ブラックのまま胃に流し込んだら、胃に穴が開いてしまう。年甲斐もなくハンバーグランチを注文した一時間前の自分を恨んだ。魚介サラダにしておくべきだったのだ。

「パパはそもそも反対だったんだ。百合があんなふざけた学校を受けることには」

 幼稚園でもあるまいし、親の顔を見て生徒を選ぶなんてろくな学校じゃない。ついでにいえば、中学生の百合が毎日、街の学校に通うことも、そのために携帯電話を買い与えることも反対だ。両親は何も分かっちゃいない。この世の中が青少年にとっていかに危険か、そして彼等がいかにたやすく誘惑にかかり、罠に落ちていくのかを。見識深い俺がレクチャーしてやりたいほどだ。もっとも俺は門の前に立っただけで、二頭のハスキー犬の襲撃にあう身分だが。あの二人はあろうことか、飼い犬にいの一番に息子の匂いを覚えさせやがった。

 百合が頬杖を解いて、テーブルの上で腕を組んだ。

「知っているよ。パパはあんな学校嫌いだろうなあって思っていた。私だって嫌いよ。百年の伝統だか何だか知らないけどさ、伝統にあぐらかいて、そのくせ制服はころころ変えるの。どうしてだけ分かる? 街中でM女の生徒だって分からないようにするためよ。馬鹿らしい。そのくせあそこの制服、有名デザイナーのデザインで十万円もするのよ。他のと何が違うって、セーラー服のラインが一本多いだけ。本当に馬鹿みたい」

 思いがけない意見の一致に俺は嬉しくなった。離れていても親子なのだ。心持ち、上半身を前に出し、俺は説得にかかる。ラインが一本多いだけの制服に十万円も出したくない。

「他にも学校はいっぱいあるじゃないか。S学校とか、F学院とか」

 俺の経験からすると、F学院に親子面接はなかったはずだ。もっとも三十年も昔のデータだが。

「そう、学校はいっぱいあるのよ」

 百合はそういってから鼻の穴をぷっと膨らませた。

「問題は私が受かりそうな学校がM女学院しかないってこと」

 俺は前屈みだった上半身を背凭れに戻した。

「私の進学問題と同時に、私の頭の出来もパパに責任があるってじいちゃんが言っていたわ。じいちゃんが言うには、私はママに似たらしいんだけど、でもママを選んだのはパパだし、馬鹿な子だからって親が見捨てていいわけではないって」

「自分のことは棚に上げて」

「成年した後まで面倒みきれるか、だって」

 百合はかわいそうにというような目で俺を見た。俺は気丈にそれにこたえる。この場合、一番不憫なのは親にも見捨てられた男が父親であるという百合だ。子は親を選べないとはよくいうが、百合もとんだ外れくじをひいたものだ。前世の行いがよほど悪かったのだろう。その証拠に百合の苦労はまだ続く。

「私が小学校でどんな目にあっているのか、パパは積極的に知ろうとしなかったけれど、想像くらいはつくでしょう? 原因はもちろんパパとママよ。そりゃあ、一時期よりはましになったわよ。でも中学校に入ってまであいつらと一緒なんて嫌。私にだって楽しい青春を送る権利があるわ。パパには私の頭の出来もいじめの原因もじいちゃんの血圧も、全てに対して責任があるの。これはパパがいくら風来坊を気取ろうと、避けられない事実なのよ。それなのに、どうして言い逃れしようとするの? それは人の親として以前の、人間としてどうなのかってレベルの問題よ。パパ、分かっているの? 娘に人間失格だって言われているのよ」

 これだけ的確に父親の問題点をあげつらい、論理的に糾弾できる百合が中学受験レベルの算数の問題を解けないなんてとても信じられなかった。

 俺は百合が息継ぎのために言葉を切るのを見逃さなかった。さっと伝票を掴み、財布をポケットから出す。ついでに一万円札を一枚取り出し、百合の前に差し出した。

「とにかく、パパは仕事でしばらく動けそうにない。だけど、百合から逃げるつもりはないし、父親の責任も自覚している。今はタイミングが悪いだけなんだ。だからね、帰りにこれで服でも買いなさい」

「パパ、私まだ飲み終わっていないんだけど」

 俺は聞こえないふりをして、立ち上がり上着を羽織る。

 百合は鼻から勢いよく息を吐き出してから、傍らのコートに手を伸ばした。

「パパ、最近太ったよね」

 「うん?」

「それにお酒の量も増えたでしょう? 顔色が悪いしむくんでいるわ。血圧もきっと上がっているね。どうせ外食ばかりなんでしょう?」

 百合はマフラーを巻き終わると、コートのポケットに一万円札を丸めて入れた。横目で俺を睨みつける、その迫力は幸子の生き写しだ。

「私がパパのお葬式に行かなくても恨みっこなしだからね」

「お前、勉強ができないなんて嘘だろう?」

 百合は小首を傾げてから、ふんと鼻を鳴らした。

「私のは耳学問。パパの悪口なら耳にたこができるくらい聞いているからね」

 百合は俺の傍らをすり抜けて、憤然とした足取りでレストランの出口に向かって行った。

 

この小説はkindle(KDP)にて「仮作」というタイトルで販売しています。

 
仮作1