実が落ちる前に

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父子家庭は危機一髪④ 野口歩 web小説 ブログ小説

 このところずっと寝覚めが悪い。深酒が原因と分かっているが、寝るためには酒が必要で、目覚めを考えて布団に入るほど俺は計画性のある人間ではない。

 まだ十時になっていなかった。アラームだと思った音は着信音で、その相手がおふくろだと確認したところで携帯電話の電源を切った。

 二度寝ができるほどもう若くもなく、一時間ほどは未練がましく布団の中で寝返りを打っていたが、結局「えいやあ」と布団から飛び出した。コーヒーでエンジンをかけると、あとはスムーズに毎日の恒例行事をこなしていける。つまり、昨夜の食器を洗い、熱いシャワーで心身の汚れを落とし、その間に回しておいた洗濯機から洗い物をとりだすとベランダに向かう。掃除機をかけ朝食のパンをトースターにつっこむまで一時間もかからない。気分がのればゆで卵か目玉焼きを作るのだが、今日はそこまですがすがしい朝ではなかった。

 カナコとの約束は夕方四時だ。

 俺は夕方まで別の仕事の後始末をしてから、アパートを出た。なかなか有意義な一日だった。

 

 雪穂が通っていた公立高校は県内有数の進学高校だ。俺は校門からの生徒の流れが見渡せるコンビニの駐車場で缶コーヒーを飲みながらお目当ての生徒を待った。彼女はきっと部に所属していないだろう。援助交際をするような女子高生に、放課後の白球や吹奏楽は似合わない。単なる先入観に過ぎないが、外れたとしてもかまわない。警察官時代に徒労の尊さを骨の髄まで叩き込まれている。

 チャイムの音が聞こえてくる。十分ほど経つと、校門からちらほらと下校する生徒の姿が見え始めた。

 さらに二十分。ようやく彼女の姿を認めてから、空き缶をゴミ箱に放った。

 水野葉子は小柄な子だった。風邪でもひいているのか、マスクをつけている。クラスの集合写真を見ていただけだったら彼女だと分からなかっただろう。背後から一定の距離を保ちながら、彼女のあとをついていく。彼女は一人だった。

 頃合を見計らって背後から声をかける。振り向いた水野葉子は折れそうなほど細い腕を上げて、胸をおさえた。

「水野葉子さんですね。三月になくなった水城雪穂さんの件で少しお話を伺いたいのですが」

「雪穂の……」

 かすかに彼女の顔が青ざめた気がした。

 水野葉子の切れ長の目の中で瞳が左右に揺れる。マスクのせいでそれ以上の表情は分からない。目の前の彼女と写真のそれとを重ね合わせる。彼女はそれなりの美人だが、俺の好みではなかった。顔のパーツはどれもこれといった個性のないものがそろっていたし、首から下にいたってはそもそも胸や尻がどこにあるのかも分からない。まあ、顔は化粧をすればがらりと印象が変わるのかもしれないが。

「この写真に写っているのはあなたですね」

 例の写真を取り出すと、今度は目に見えてはっきりと彼女の目が大きくなった。

「水城雪穂さんの持ち物の中にありました」

 葉子は俺の手から写真をひったくるように奪うと、震える手でそれを引きちぎろうとした。

「破ってもかまいませんよ。さしあげます。まだ何枚でもありますから」

 これは半分ハッタリ。一枚ではないが、くれてやるほどの枚数はない。昨夜涼子から、写真のコピーは断じてするなと厳命を受けている。

 俺は葉子に念を送った。破ってくれるな、破ってくれるな、と。俺の念力が成功したのかどうか、彼女は写真の両端を持ったまま写真を睨みつけていたが、やがて思い直したように手から力を抜いた。

「あなたは雪穂の何なんですか」

「ある事情で水城雪穂の事件を調べている」

 言いながら、森田弁護士事務所と書かれた名刺を彼女に手渡した。彼女は「弁護士」という肩書に驚いたのか、一瞬、ぎょっと目を見開いた。名刺と俺の顔を見比べる。目の前の男が弁護士だろうか、と彼女は値踏みするような目で俺を見る。俺はあえてその名刺と自分との関係を説明しなかった。相棒がまぎらわしい名前だとこういうときに、便利だ。

「彼女の死が単なる事故じゃないのではないかと言い出した御仁がいてな」

 葉子は写真と名刺を重ねるとぐしゃりと丸めて肩にかけた鞄に突っこんだ。ああ、写真がと思ったが、俺はしいて無表情を装った。

「事故じゃないというと、自殺……ですか」

「いや、殺人だよ」

 葉子は瞬きを忘れた目で俺を見つめた。

「まさか。だって学校よ」

 学校は神聖な場所、俺だってできればそう信じたい。

「ありえないかな」

 彼女は頷きかけてから、はっと目を見開いた。マスクをしていると、いちいち表情が分かりづらい。そのマスクをちょっとの間だけとってくれないかな、なんてお願いは即刻却下されることは目に見えていたから、俺はまっとうな質問だけを口にする。

「彼女はあの写真を後生大事に引き出しの奥にしまっていた。しかも写真は複数残っているのだが、抜けているものがある。誰かの手に渡ったとしか考えられないんだ。どうかな。心当たりはないか」

「私を疑っているのですか」

「写真が写真だからね」

 マスクがかすかに動く。唇でも噛んだのだろう。

「君は水城雪穂が死んだとき、学校にいたのか」

「どうして私があなたの質問に答えなきゃいけないの」

「答えてくれなくてもいいさ。だが、俺は今消去法をしている。今だったら、俺の持っているリストの中から君の名前が一番に消えることになる。後になればなるほど、俺だって未練がましくなるからな、君にとっては厄介なことになる」

 今現在だって俺のリストには彼女の名前しかないわけだから、ちょっとやそっとのことで消してあげるわけにはいかないのだが、まあ、嘘はついていない。

 葉子は悔しそうに俺を睨んでいたが、ここは素直に従った方が吉だと判断したらしい。

「あの日は……」

 記憶を探るように葉子は遠くを見た。

「まだ学校にいたわ。教室で友達と喋っていたら、廊下が騒がしくなって」

「なるほどね」

「本当に雪穂は殺されたんですか」

「それはまだ分からない。君は彼女と仲が良かったのか」

「ただのクラスメイトです」

「じゃあ、彼女がどうして君の写真を持っていたのか。彼女はあの写真を君に見せたことがあった?」

 なかったはずがない。俺は葉子が何と言い出すか、注意ぶかく見守った。

 葉子は困惑した顔で頬を震わせた。何と答えるべきか、彼女の頭は猛烈な勢いで回転しているはずだ。今、彼女の頭に電極をつけたら、豆電球に明かりがつくかもしれない。

「あなたは誰からの依頼で動いているんですか」

「それは極秘事項だね」

「依頼は雪穂を殺した犯人をつきとめること」

「まあ、そんなところだね」

「私は雪穂が殺されたなんてとても信じられない。あの雪穂が……それも学校でなんてありえない。でもあなたはそう信じている。信じているだけじゃなくて、何が何でも犯人をつきとめようとしている」

「何が何でもってわけじゃないよ。犯人を無理矢理作るつもりはない。そもそも俺は彼女の死の真相を調べることで、殺しだというのも、まあ、一つの意見だ」

「私にとっては同じことです。ここで私が隠したりすれば、いつまでもつきまとうつもりでしょう? 痛くもない腹を探られるのはごめんですから、はっきり言いますけど、私、あの子から写真を買っていました。一枚二万円。三枚で六万円。でもこんなことで人を殺したりはしないでしょう?」

「それは……時と場合によるな」

 実際、その金額か高いのか安いのか、俺には見当もつかなかった。女子高生の懐事情など分かるはずもないし、彼女にとっての写真の価値となると、今時援交なんて大したネタにもならない気もするがそれも個人差があるのだろう、はっきりいって未知数だ。


仮作1