実が落ちる前に

自作小説を公開するブログです。暇なとき、読んでいただけたらうれしいです。小説は作品ごとにカテゴリー分けしています。日記や雑文はその他カテゴリーです。

父子家庭は危機一髪⑤ 野口歩 web小説 ブログ小説

 カナコは可南子という字を書くらしい。そして上の名前は卯月というらしい。可南子がまるで重要事項のようにそう打ち明けるから、俺も彼女に敬意を表してそれを手帳に書きとめる真似をした。可南子という漢字は間違えやすいからと注意される。加奈子でも香奈子でもなく可南子。たしかにまぎらわしい。俺の人生に登場してきた何人かのカナコが頭の中でごっちゃになる。

 俺は猛烈な勢いで減っていくアイスクリームのタワーを呆然と見守った。可南子は危なっかしいバランスでアイスクリームの上に載っていたチーズケーキを器用にフォークの先に突き刺すと、そのまま口に運んでしまった。

「よく食うな」

「成長期ですから」

 アーモンド形の目の中で黒い瞳がくるっと回り一瞬の愛嬌を俺に振りまくと、彼女は再びケーキパフェに挑みかかる。戦いが終盤にさしかかったところで彼女はやっと顔を上げた。パフェの容器の中にはもうしけたコーンフレークしか残っていない。

「昨日の電話、びっくりしました。あれ、本当ですか。雪穂は殺されたかもしれないっていうの」

「君、声がでかいな」

 彼女は掌で口をおさえてから、困ったように眉を顰めた。

「地声なんです。昔、道場に通っていたから」

 興奮して声が大きくなったのではなく、単なる素だったらしい。

「ほう。道場というとこれか」

 俺が竹刀を振る手振りをすると、彼女は「そうこれです」と心底困り果てたような顔で両手を振り下ろした。

「君は水城雪穂と親しかったんだよね」

「ええ。多分、雪穂と一番仲が良かったのは私だと思います。少なくとも私の方はそう思っていました。クラスも同じでしたし、中学校も」

「長い付き合いだったというわけか。彼女、どんな子だった? 君から見て」

「守ってあげたくなる子……かな。風が吹いたらぴゅーっと飛んでいっちゃいそうな子。私とはまるで反対。元々、アトピーやら喘息やら色々抱え込んじゃっているところに、ご両親のことが重なって。あの、ご存知ですよね。雪穂の家庭のこと」

「ああ。事故で亡くなったんだろ。そのせいで過呼吸の発作が始まった」

「そう、そうなんです。普通に喋っていたのに、突然発作が始まったりして。あの頃は、私、雪穂と二人でいるのが億劫だった。だって、どうしてあげたらいいのか全然分からないんだもの。雪穂は死んじゃいそうなくらい辛そうだし、過呼吸がおさまってもいきなりじんましんが出ていたり。私、ほらこれだったでしょう?」

 そういって、彼女はまた竹刀を振る手つきをした。

「だから、本当は慣れていたんです。でもあの子のは道場のとはなんだか違って。考えてみれば、道場の連中って基本的に皆頑丈なんですよね。だから少々苦しそうにしていても気にならないというか。でも雪穂は全然違うんです。背中さすってあげても、骨が折れちゃいそうで。私、声もそうですけど、手にも無意識のうちに力が入っちゃうんですよね。だから、もう見ているしかないっていうか。私が自分の不甲斐なさを自覚した最初の出来事です」

 本人の言う通り、可南子は人の倍以上の生き運を持っているのだろう。しゅんと落とした肩からも元気が発散している。俺は水野葉子よりも可南子のような子の方が好みだ。

「雪穂の性格はどうだった?」

「そうですね。明るいとはいえなかった。おとなしい方でした。それに真面目で、きれい好き」

 聞いている限り、可南子と雪穂は外見も内面も正反対のようだった。二人にどんな接点があったのか、だが案外こういう二人の方が仲良くなったりするものなのかもしれない。

「雪穂が死ぬ前のことを訊きたい。君はあのときは学校に?」

「はい。委員会があったので居残っていました。私、こう見えても保健委員なんです。あの日は保健室で保健だよりの原稿を書いていました」

「保健室というと、もしかして養護教諭も一緒に?」

「はい」

「誰かが養護教諭を呼びにきたんだろう?」

「ああ、それは樋山君です。樋山香。クラスメイトです」

「樋山……」

 俺は手帳にメモしてから、可南子に漢字を確かめた。

「樋山君が『雪穂が倒れた』って言ってきたんです」

「樋山香は雪穂と一緒にいたのか」

「いえ、違うって彼は言っていました。通りすがりに廊下から覗いたら雪穂が過呼吸を起こしていたって。でも私、ちょっと疑っています」

「ほう。それはなぜ」

 可南子は首を揺らすように左右に倒した。それは彼女が考え事をするときの癖のようだった。

「あの……雪穂が殺されたっていうのは本当なんですか。私、ずっと事故だと思っていました」

 可南子は言いにくそうに言った。だがその言い方ほどに、彼女が事故という結論を信じていないことは明らかだった。何か知っているなと俺は直感した。

「雪穂の姉の水城涼子、知っているね」

 可南子はこくんと頷いた。

「彼女は殺しだと確信している。雪穂は過呼吸に慣れていた。学校では度々、発作があったのかな」

「中学校のときほどは。でも高校に入ってからも発作はありました。体育の時間とか」

「そのとき、雪穂は自分で対処をしていたのだろう。そのとき彼女は袋で口を塞いだりはしなかったそうだろう?」

 可南子は瞳をくるりと回してから、瞬きを繰り返す。やがて納得したように二度頷いた。

「そう、その通りだと思います。考えてみれば、雪穂が袋で口を塞いで窒息なんて、ちゃんちゃらおかしいです」

「君は涼子とは別の違和感を持っていたんだね」

 俺に言い当てられて、可南子は目に見えてうろたえた。

「でも、殺しなんて考えていたわけじゃないんです。ただ、どういうことなのかなって不思議に思っただけで」

 可南子は言いながら、紙ナプキンを折り畳み始める。なんというか、首の動きといい手癖といい、落ち着かない子だ。無駄にカロリーを消費しているから、ケーキパフェもぺろりと平らげてしまうのだろう。

「クラスメイトの松浦由美という子がいるんですけど。その子があの日、化学室で雪穂を見たっていうんです」

 化学室といえば雪穂が亡くなった場所だ。

「由美が見たとき、雪穂はもう床に蹲っていたそうです。そして雪穂を介抱する女子生徒もいたって」

「女子生徒?」

「ええ。由美は廊下から化学室を覗きました。雪穂の顔は見えたそうです。すぐにまた雪穂が過呼吸を起こしたのだと分かりました。雪穂、中学に比べて発作の回数は減っていたけど、それでも高校に入学してから四、五回、起こしたことがありましたから。由美は『大丈夫か』と声を掛けた。由美も雪穂の過呼吸には慣れていたし、傍に雪穂の友達がいたから教室には入らなかったんです。雪穂は由美に対して、『大丈夫』と答えたそうです。私、確認しました。たしかに答えたのは友達の方がじゃなくて雪穂だったって。だから、この時点で雪穂は生きていたし、発作もおさまりかけていたんです。それなのに、雪穂は死んだ。しかも雪穂を介抱していた女子生徒が名乗りでてこない」

「なるほどね。たしかにひっかかるな」

 治まりかけていた過呼吸。雪穂が自分で大丈夫だと答えたのなら、そのとき袋を口から外したに決まっている。その後、また口を袋で覆った? 過呼吸はほとんど治まっていたのに? 涼子の言うことを一から十まで信じたわけではないけれど、たしかに不自然だ。それに女子生徒の存在。彼女は雪穂の死ぬ瞬間も一緒にいた可能性がある。それなのに、名乗り出てこないということは……。

「その由美という子が化学室を覗いたのと樋山香が雪穂の過呼吸に気づいたのはどっちが先だろう」

 可南子はきょとんと首を横に倒した。

「そんなこと、考えたこともありませんでした。そういえばそうですよね。二人が雪穂を見たのなら……樋山君が先だと思います。うん、なんとなくそう考えていました。だって由美は雪穂の状態を見て大丈夫だと素通りしたのに対して、樋山君は保健室まで来たのですから。樋山君が雪穂を見たときの方が雪穂の状態が悪かったということでしょう?」

「そうとは言い切れないよ。少なくとも二つの可能性がある。一つは君の言う通りだ。もう一つは由美が見た後、雪穂の発作が悪化した場合。いや、もっと言えば、樋山香が見たとき、雪穂が死んでいた場合だ。彼は保健室に飛び込んできたとき、『雪穂が倒れている』としか言わなかったのか」

「多分。雪穂の部分が水城だったかもしれないけど」

「意識があるとか、雪穂に頼まれて保健室にきたとかは?」

「そんなことは言わなかったと思う」

 なるほど。これは樋山香本人に尋ねるしかあるまい。

 俺はそばにいた女子生徒が雪穂を殺した可能性まで考えたが、さすがに口には出さなかった。だが、可南子は存外、頭の回転が早いらしい。

「由美に聞いてみます。それに樋山君にも。でも私はやっぱり……」

 そのとき、俺は気づいた。可南子は正体不明の女子高生ではなく、樋山香に屈託があるようだ。樋山が先だと言ったのも、今まで話したことだけから得た推理ではなかったらしい。

「これは私の想像なんですけど、樋山君は雪穂と一緒にいたんだと思います。樋山君は偶然見つけたって言っていたけど、そんな偶然ってあるのかなって。雪穂は樋山君が好きだったんです。あの日、雪穂は大事な用事があるから先に帰るって言っていました。それなのに、あの時間まで学校に残っていた。私は、雪穂はあの日樋山君に告白した気がします。それを樋山君は断った。だから雪穂はショックで過呼吸を起こしてしまった」

「だから、松浦由美よりも樋山香が先……か」

 可南子の言うことには証拠はない。雪穂の口から、樋山香を誘ったという話を聞いたわけでもない。だが、可南子は雪穂の親友だった。親友の証言にはそれなりの価値があるものだということは警察にいた頃にも何度も感じたことだ。そして、証言者は最初から全てを語らないということも。

「どうして君は今日までそのことを黙っていた? 謎の女子生徒も樋山が嘘をついて偶然を装ったという疑いも君はずっと前から気づいていたんだろう?」

「それは……」

 可南子は唇を結んでから、斜め下に視線を落とした。

「誰に言っていいのか分からなかったから。警察は事故の後来てそれっきりだったし、雪穂の通夜のときはそんな雰囲気じゃなかったもの。それにあの頃はまだ女子生徒のことは知らなかったから」

「本当にそれだけか」

 可南子の顔を見れば、その言葉通りではなかったことは明らかだった。

「君は謎の女子生徒に心当たりがあるんじゃないのか」

 可南子の肩がびくりと震えた。分かりやすい子だ。可南子は上目遣いに俺を見てから、観念したように喋りだした。

「私の想像に過ぎないけど」

 だから間に受けてもらっては困ると可南子は言外にいっていた。可南子はいったん口を閉ざし、気合を入れなおすように鼻から息を吐いた。

「化学室に入ったのは樋山君の彼女だと思います」

「彼女? それは」

「水野葉子」

 可南子の言った名前に俺はしばらく言葉が出てこなかった。

 結局、例の写真は可南子には見せなかった。水野葉子に義理があるわけではないが、いたずらに彼女を傷つけるつもりはなかったからだ。

 可南子の話で事件の大体の事情は掴めた気がした。雪穂は例の写真をネタに水野葉子を脅迫した。水野葉子は一枚二万円だと言っていたが、本当のところは金ではなく樋山香と別れろとかそういう類いの話だったのだと思う。いやはや、最近の女子高生は恐ろしい。色恋沙汰は火サス顔負けだ。涼子が調べても雪穂に怪しい金の動きがなかったこともこれで納得できる。雪穂は葉子に別れなければあの写真を樋山に見せると言った。あの日、とうとう雪穂は樋山に写真を見せようとした。だがその前に、緊張が高じてか、過呼吸を起こしてしまった。葉子は二人の様子をうかがっていたに違いない。雪穂が発作に倒れると、これ幸いと彼女に近づき、その口を塞いだ。

 あとは殺人の証拠があがるか。それと樋山香が殺人に関与していたかが問題だ。

 一応、雪穂が呼び出したのは樋山香で犯人は葉子という想定で推理をすすめてみたが、可能性でいえば二通りある。

 一つ目の可能性は、化学室にいたのは樋山が先でその後女子生徒(葉子)が来た場合。もしくは最初は二人ともいたが途中で樋山が化学室を出た場合だ。この場合、由実が化学室の前を通ったのは樋山が保健室に行った後。由実は雪穂が生きているのを確認しているから、犯人はそのとき雪穂と一緒にいた女子生徒だ。

 二つ目の可能性は、女子生徒が先で樋山が後から来た場合。この場合、樋山が化学室に入った時点で雪穂が生きていたかどうかで女子生徒がシロかクロか決まる。もし死んでいたら、女子生徒が殺した可能性が高いし、生きていたとしたら女子生徒は善意の第三者。樋山への容疑が一気に濃くなる(樋山と会ったとき、この点を彼が保身のために嘘をつく可能性があるから要注意だ)。由実の登場は樋山の前ということになる。

 事故か、事件か、男か、女か。手持ちのカードではここまでが精一杯か。

 推理を進めるために松浦由美からも話を聞きたい。俺は可南子に由美と会えるようセッティングしてくれと頼んだ。

「あと、他に目撃者がいなかったのかを調べてくれないか。俺は高校には入れないからな」

 可南子は丸い目をにっと細めて了承してくれた。


仮作1