実が落ちる前に

自作小説を公開するブログです。暇なとき、読んでいただけたらうれしいです。小説は作品ごとにカテゴリー分けしています。日記や雑文はその他カテゴリーです。

摂食障害の体重変化(拒食症→過食症→現在)

摂食障害のはじめや終わりがいつだったのかは、自分でもよく分からないのですが、どのように体重が変化していったのかをちょっとメモしておこうと思います。

 

私の摂食障害は高2~23歳くらいまでの期間です。摂食障害になる前は、

・身長157cm(高1時、身長の伸びは中学生で終わったので摂食障害期間は身長の変化はほとんどありません)

・体重47~48kg(BMI19.5)

 

私の摂食障害は拒食症期間はあるものの、過食症でした。拒食症→過食症の順で進みました。

高2・冬 やせ始める?(食べられないだとか体重にこだわるという自覚症状なし、きっかけは未だに不明)

高2・3月 43kg(生理が止まる、まだ拒食症の自覚なし)

高3・5月 40kgを切る

高3・6月 37kg

この頃、保健室から呼び出されて、心療内科の受診をすすめられ……というか、養護の先生がその場で心療内科を予約して、病院に行くように言われました。保健室から呼び出されたのは、体育の先生から保健室に私がやせ過ぎているという連絡があったからでした。この時期、体育はプールだったので体育の先生が気付いてくれたようです。このときから、1ヶ月に2回心療内科に通うようになりました。

高3・夏~秋 一番痩せているときで35kg

体温が35℃になったり、毛深くなったり、脈拍が遅くなったりと、体はまさに飢餓状態でした。学校では、木の椅子にじかに座ることができなかったので座布団を敷いていました。一番覚えていることは、風が強い日に「風が痛い」といって泣きながら帰ったこと。脚に風が当たると骨にじかに当たっているようで本当に痛かった。

高3・12月 拒食症から過食症

ある日突然、過食症になりました。冬休みの直前でした。この日から食べるのが止まらなくなりました。

受験生だったので冬休み以降は学校に行く必要がありませんでした。なので、受験勉強そっちのけで1日中過食していました。この頃は食パンやご飯、麺類、ポテトチップス、冷凍のシューマイなんかを食べていました。

高3・3月 卒業式で制服のスカートがきつくて泣く。クラスメイトとは別の理由で泣いていました。

 

大学入学

大1・4月 48kg

過食止まらず。私の過食症は、食べる・下剤乱用(1回で100錠とか)・時々吐くというタイプです。吐くことが少ない過食症なので、食べたら食べた分だけ太りました。下剤は脱水にはなるけど、痩せはしませんものね。命の危機は何度か感じました……手足の震えが止まらなくなったり。

大2・9月 57kg(Max60kg)

過食止まらず。1年で10kg増量。休学。

大3・4月 52kg

復学。通院開始。高校とは別の心療内科に約半年間、通い始ました。

大3?大4? 50kg

2度目の休学。このへんは記憶が曖昧です。この後、退学しました。

 

振り返ってみると、拒食症よりも過食症の時期の方が精神的にきつかったみたいです。その間のことをほとんど覚えていません。摂食障害って、やせたい病気だから、拒食症の時期は身体的にはきついけど自己実現(なりたい自分になる)は叶っているんですよね。だから、妙にハイテンション。過食症は身体的にもきついし精神的にもきついです。

 

2度目の休学の前後くらいから、過食衝動は徐々になくなりました。で、ここも謎なのですが、ダイエットも食事制限もしていないのに、いつの間にか体重が47kg(摂や食障害になる前現在と同じ)に戻っていました。一番重いときで60kgを超えていた体重がどういう経過をたどって、どんなペースで落ちたのか、自分でもわかりません。途中経過(50kgを切ったとか)の記憶もなし。減量がつらかったという思い出もなし。それで25歳のときには47kgになっていたので、2、3年で体重を戻したみたいです。

 

こうしてみると、摂食障害の間は色々あったし体重も症状によってどんと減ったりどんと増えたりしたけれど、病気から回復したら、病気前の体重に戻っちゃったっということですね。痩せたのも太ったのも病気の症状だったのだから、治れば元の体重に戻るのは当然といえば当然か。風邪が治ったら熱が下がって平熱に戻るのと同じです。

 

ということで、私の摂食障害の体重変化についてでした。もう忘れてしまったことも多いけれど、こうして書き出してみると、なかなか興味深かったです。特に、拒食症の頃の体重はよく覚えているのに過食症の頃の体重はほとんど覚えていないというのが、ね……人間、いやなことは忘れるものです。一番最悪の時期(Maxを記録した頃やそのときの体重)だけは覚えているのは、それだけショックが大きかったからでしょう。